どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

やりたいこと

①大学院に行きたい

学びや人との交流、自分の能力が活きること好きなこと向いてることをやる機会、できればそれを仕事に結びつける可能性もほしい

 

②自分の思考をまとめた文章をちゃんと書きたい

①とも関係するが、いま自己表現(考えること、考えたことをことばにすること)が消化不良?な感じがしているのと、自分はこんなこと考えてる人間だっていうのをわかりやすく形にしたい。文章を書きたい。

 

③本をつくりたい

②とも関係する。本っていうかZINEっていうか?自分用の一冊でも良い。自分とはこういう人間だという形をつくりたい(同じことまた言った!)

これは、ブログやツイートの自選でもいいし、写真や文章を載せたい、卒論も載せたい(長すぎるが…)、いろいろな側面から、やわらかいのもかたいのもふくめて自分を一冊にまとめてみたい

 

自分が考えていることは、福祉(ウェルビーイング)、生命の発露、表現、まち、くらし、生活、愛、光、力、祈り、人間、社会、構造、ミクロとマクロ、世界、花、うつわ、土、緑、魂、関係、生きる、写真、記録、ことば、わたし、語る、書く、出会う、はたらく、流れ、資本主義、規範、利己と利他、他者、ケア、観察、対話、溶け合う、相互作用、つくる、のこす、季節、かわる、かわらない、繰り返し、天気、雲、(思いついた順に付け足してる)

 

これまでの寄せ集めじゃなくてそれぞれについて新しく書いても良いなぁ

 

追記:自選しようと思ってブログ読み返してたら昔の一人称が「僕」で懐かしすぎた。恋人と一緒にいるときは、一人称「俺」だった。。。別に恥ずかしいことだとは思ってないけれど。

追記2:どれも好きで大事なので選べない、あと写真はやっぱりスマホじゃなくてデカい画面で見るべきなので印刷されるべきだと思った。あと本のこと考えるのめっちゃ楽しい。んー、これまでの選ぶより自分の思考まとめなおすほうがよい、、?

ベッドとしあわせと人びとと本

強烈な眠気がきたから髪の毛の乾きも中途半端なままにベッドに飛び込んだのに寝れんのかい

眠気、引っ込むな

 

わたしの幸福は、わたしを幸福にしようとする多くの目に見えないはたらきによって成り立っている。わたしを幸福にしようとする、というのは、わたしだけを幸福にしようとすることに限らず、他の誰かも含めるけどわたしにも向いているはたらきもある。

わたしを幸福にしようとするはたらきは、誰かのそういう意図(わたしに幸福がもたらされますようにとか、誰かに幸福がもたらされますようにとか、みんなで一緒に幸福になれますようにとか)をもっている場合もあれば、全然もっていない場合もあるのだろう。

伝わるかな、、?

 

わたし、たぶんうまく考えることができずに、流れと直感と感覚ばかりで生きてるから、大事なのに忘れてしまうことがあったり、そういうふうに人間としておかしなところがあったり、(誰もがそうかもしれないけれどもしかしたらほかの人よりも)すると思うんだけど、今日(ベッドに入ってから)何となく、昔の記憶がわたしのもとにやってきて、かかわった人たちのこと、今はかかわっていないけれどたしかに時間や場を共有した人たちのことが思い出された。

今も変わっていく過程にあって、その中にいるときはなかなか自分のことに理解が追いつかないと思う。

失われてしまった関係があっても、いま見えなくても、そのひとたちは確かに今も息をしていて、この世界に生命として存在していて、こうやってスマホを見ているのかもしれないし、誰かと会っているかもしれないし、思い悩んでいるかもしれないし、恋に胸を焦がしているかもしれないし、おだやかな時間をすごしているかもしれないし、かわいい寝顔でかわいい寝息をたてているのかもしれないと、思いを馳せることはできるし、どうか幸福でと、祈ることはなんだかふさわしくない気もする、どうか無事でというのも、うまく言えているかわからないけど、とにかく、そのひとが守られていますようにといのること、(そうすることにはきっと意味なんか何もないけど、)は、できると思うのだ。

 

さっき、やっぱり本をつくりたいなあと、思い立って、それだけあるんだけど、中身とかは何も考えてない!

あと、最近考えてることは、「学びたい」ってこと、前にも書いた気がするけどやっぱり大学とか授業とか良いなってこと、それを求めてる気がするってこと。こんど、新しく出会ったそういう場にも行ってみようと思うんだ。楽しみ!

そして、自分の能力や適性について、大学の話ともつながってるんだけど、たぶん論文書くのとか研究するのがかなり得意だし好きだから、(高校のとき研究者になったらいいと恩師に言われた、)そういうふうな仕事(具体的にはわからないけど、、)をやってみたいって思ってる。

あと、やっぱり話すのは苦手、とくに論理的にうまく話すのが苦手、書くことはできるけど、、、そうだな、まとめると、大学とか、学びとか勉強とか、論理的に思考することとか、それを自分が得意で好きでやりたいってこと、いつか仕事にできるのかな?ってことを考えてるね。

 

じゃあ、おやすみ、今日もなにもかもわからないね、そのままでおやすみ

柔軟体操

あたし何度も、何度も、じぶんの心をころしてきた。

あたしのからだが熱い。

うまく喋れないの。

あたしのあたまが熱い。

どうやって自分を慰めればいいかわからないの。

どうしてあたしはここにいなければいけないんだろう?

この資本主義社会の中で。

どうして?

あたし、生きることの意味なんて知らないの。

この先に何があるかなんて知らないの。

あたし、こうだから、誰とも、あなたとも、うまく喋れないの。

あたし、何も見えない。

あたしが生きるためには、何が必要なのか、あたしに聞いているんだけど、教えてくれないの。

あたしがどこにいるかわからないの。

生きるためには働かないといけないけれど、働くために生きているんじゃないの。

あたしのいのちを、よくみつめたいの。

あたしのいのちを、すり減らしたくないの。

あたしが思うことを、表現したい。

こんなことじゃないの。こんなことじゃないの。

あたし、会いたい人がいるはずだけど、なんで会いに行けないんだろう?

あたし、安心したいの。

あたし、弱くないけど、強くもないの。

あたし、知らないの。

あたしが思うことをきいて。

なんでこんなこと思うんだろう?

あたし、生きたいの?

あたしは、生きるためには、どこにいたらいいの?どこに向かえばいいの?

あたしは、何を望んでいるの?

 

あたしは、答えてくれない。

あたしは、黙ったままだ。

あたしの戯言は聞き飽きた。うるさい。

全部どうでもいい。喋れよ。

おまえの生命が。

書くということ?

書く、ブログを書く文章を書くというがべつに書いてはいない、スマホに文字を打ち込んでいるだけだが、書くといっていいことなのかわからない、書くって何?

とりあえず、読めることばをうみだすことが書くことなの

かもしれない。ほんとに書いてるなぁと思うのは、紙に筆記具で文字を書くときだけだが。

わたしは話すことは向いていないと思うけれど語ることと書くことは、向いていると思うことにする。

 

https://note.com/spookyboogie/n/n5acfe69e80b0

友達がわたしの「わたしが愛であり光」についての文章を書いてくれて、この文章が私にとっての愛であり光やんっていま思ったな。

 

「自分が愛である」ということや、そう思うことと、「自分を愛する」ということは別の事柄である。

自分が愛であるというのは、自分=愛ということ。愛を持っている、愛することができる、愛らしいとかラブリーということでなく、愛そのもの、ラブそのものだということが、大事だ、と言ってみるけれど、自分でもよくわからない。ほんとうのことは、何言ってるかわからないことだと言えるし、ね。

 

忘れない、と言ったことのうちどのくらいが忘れられている?

 

深呼吸。

 

私が愛であることと、私が私を愛することと、私が私をケアすることは全部別の事柄であるが、関連する事柄であり、今日は本気で自分をケアしたいと、今日思った。

なぜなら労働時間が私にとっては長すぎるから(ということでもないかもしれないけれど正確に説明しようとするのはやめた!)

 

予定↓

17:30公園で書く、買い物をする

18:00帰宅、洗濯、掃除、ごはんつくる

19:00ごはん

20:00zoom

21:00zoom終、おふろ

22:30寝る準備

 

愛であり光であることを忘れないし諦めないように

 

あとは、わたしはしあわせだと言いたいと思う。

 

追記:書くことは自分をケアすること。掃除することもごはんをつくることも自分をケアすること。って書いていて、同じ話を前に書いたの思い出した。

https://homichimichimichi.hatenablog.com/entry/2021/05/17/002719

↑たぶんブログはじめたばかりのころの記事で文章下手で可愛いな

最近考えてることは、働くために生きてるわけじゃないってこと、そう思うってことは働き方が違うのかなってこと、会社の正社員で働くことは自分に合ってるのだろうかってこと、そもそも正社員って労働時間長すぎるよねってこと、就活とか正社員で働くことがなぜにここまでスタンダードなもの(規範)として捉えられてるのかなってこと、いろいろな生き方や働き方があるということ、そこから外れるということはどんなことかってこと、自分に合う働き方を選ぶってこと、などなど、、、、、、、

 

たくさん自分をケアしてスーパーセルフケアデイだヨ ハンバートハンバートを聞く 暗い気持ちでもしんどくても幸福ってありえるのかもお風呂で考えてたよ お香焚こうと思う やっほー

6月のあたしへ・6月のあなたへ

元気ですか?別に元気じゃなくていいです。でも元気だったらいいです。

元気じゃなくていいっていうのは嘘かもしれない。元気でいてほしい、もちろん。でも元気じゃないことも悪くないです。

まだ朝起きたときは不安な気持ちがしますか。

それでもいいです。

いまの生活には慣れましたか。慣れるってなんなのか、あたしもよくわかっていませんが。

相変わらずですか?手紙には、「相変わらず」という言葉をつかうと、それらしくなりますね。これもよくわかりませんが。

6月は梅雨だから、雨ばかりで気が滅入りますか?

6月にあったこと、思い出しますか?そんな感じですか?

なんで手紙なんか書くんでしょうか。これだってどうせ、捨てるのに、わたしは捨てる手紙ばっかり書いてるんでしょうか。手紙を送るとか手紙が届くというのは成立するのが難しい奇跡なんですね。わかりませんけれど。

そうか、6月は紫陽花が咲く季節ですね。紫陽花の思い出がたくさんあって、動けなくなりそうですね。

戻ってこない時を思い浮かべて苦しくなるくらいなら、写真を撮ってください。

あなたがあたらしく暮らしている場所には、どこに紫陽花の花が咲くのでしょうか?知っていますか?

わたしはまだ知らないのです。だって今は5月なのですから。

花が咲けばおのずと知るでしょう。

 

やっぱり、元気でいてほしいと思います。

これは、あたしと、あなたと、あなたと、に、向けた手紙でした。これも、どうにも、わからないことなのですが。誰に向けて書いているのかなんて、考えたってしょうがないのでした。

今は、雨が降っているし、夜なのだから。

手紙書くのが好きなだけの、あたしでした。こんなことには意味がありませんから。ただ書きたいだけで、ごめんなさい。

失うことは、何かを得ることなので、こわいことではないはずです。

信じたいと思います。

わたし、本当は眠いのかな。いつも変な文章で、恥ずかしいです。

どんなときも、自分のからだとこころを大事にしてください。そして、あなたにとって大事なことを、いちばん大事にしていてください。あなたが愛するものを、そのまま愛していてください。わたしもそうします。

あとは、あなたがうつくしいと感じるものを3つほどわたしに教えてください。1つでもいいです。

では、お元気で。また、会いましょう。

送らない手紙だから、何を書いてもいいみたいでした。

 

追伸。という言葉を使ってみたかっただけで、とくに追伸することはないので、無視してください。そして、あたしのことを見てください。遠くからでも。