どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

私が高校生のとき読んでいた本

2000字くらいあるんだけど私にとって大事な話です。

 

私は勉強しなきゃと思いつめすぎ、勉強できる人じゃなきゃと思い込みすぎ、勉強しすぎ、で高校生のとき壊れていた。そんな限界状態だった私のことをいつも肯定し見守り助けてくれた先生がいる。その先生にはこの前、卒論と手紙を書いて送ったのだけれど、コロナ対応で忙しいことと、今度じっくり読むねというような簡単な返事が来たあと、連絡をとれていない。

先生は私のことをいたく気に入って(というのかな?)ほめてくれた。

勉強以外のことで、私がもっと目を向けるべきことに目を向けるように促してくれた。

初めは、綿矢りさ蹴りたい背中や、三浦しをんの風が強く吹いているみたいなタイトルの本を貸してくれた。先生がいつもいる社会科準備室には、本がたくさん置いてあった。インドの神様の小さい像や、社会科のいろいろな資料集や教科書もあった。進路関係の資料もあった気がする。

そのあと夏目漱石のこころを貸してくれた。

そのあと三島由紀夫仮面の告白を貸してくれた。電車の中で読んでいたときの感覚を少し思い出せる。こんな文学があるんだと思った。

本を読み終わったら、本の感想をノートに書いて、放課後、その書いたやつを先生のところに持っていくのが習慣だった。先生が、そうするようにと言ってくれたのだった。そのノートは今でも手元にある。

先生は私の書いた感想を読み、いつもあなたは面白いねとかいいねと言ってくれる。先生にノートを手渡してから読み終わるのを待つまでの時間の気持ちも思い出せる。

本の感想が面白いだけじゃなく、それを書いた私という人間が面白いと言ってくれた。

先生とのそういうやりとりは、卒業するまで3年間続いた。

三島由紀夫仮面の告白を読んで、私がどんな感想を書いて何を話したのかは覚えていないが、そのあたりから、私はこういう本が好きで読むべきなのだと、先生と私のあいだに共通の了解が生まれた気がする。

私は、谷崎潤一郎の、痴人の愛を読んだ。

教室で読んでいたら、サッカー部の男の子に、「え、それ大丈夫?」と笑いながら言われた。タイトルが少し過激であったため。

この本が、高校生の私にとって、バイブルみたいなものだったのだ。なぜなのかはわからない。谷崎潤一郎の本が、すごく好きだった。春琴抄も。

耽美派という部類のものに惹かれた。

澁澤龍彦とか、マルキドサドとか、を読んだ。家畜人ヤプーを読んだ。

サディズムマゾヒズムの描かれた物語に興味を持った。

家畜人ヤプーを読んでいたときは、お父さんに「大丈夫?」「友達もそういう本読んでるの?」と聞かれた。表紙の絵が過激であるため。(タイトルも過激?)でもとてもいい表紙だ。金子國義さんの絵だ。

人間の欲望の汚さあるいはそれをめぐる美しさや目の前にある現実とはかけ離れた世界に惹かれたのか、常軌を逸した人間、人間はここまでこんなふうになれるんだという、人間に対する衝撃を受けるのが面白かったのか、なんなのか。まあ、無理な現実の裏側でそういう別世界を持ってアイデンティティとすることで自分を保っていたのかな。

先生は大人になった私と飲みたいと言ってくれていたので、私もそう思ってるのに、あれから連絡ないから、連絡していいのだろうか。どうしたものか。

 

あなたは美しいものをじーっとみたり、じーっと考えたり、する人間だからと言われた。

完璧主義すぎ、他人を気にしすぎと言われた。

あなたはマージナルな人間だから、社会に違和感を持てるから、社会を変えるのはあなたみたいな人間だと言ってくれた。

あなたは俺と同類の人間だと言ってくれた。周りの人と比較しなくていいと言われた。比較対象が間違ってると言っていた。

教育に対して思っていることを話したら面白いと言ってくれた。

ずっと走り続けられる人間じゃないんだから、あなたは波があるんだから、休んでいいと言ってくれた。

しんどいとき、あたたかいものを飲んで寝てとか、勉強しなくていいとか、自分の呼吸に集中してみてとか、言ってくれた。

自律訓練法をやってくれたり、泣いていたらティッシュを渡してくれたりした。

 

学校にどうしようもなく行きたくない日も、先生に放課後会いに行こうと思うことで、朝学校に行けた。

私をつくってくれた人間なので、とても大切なのだけれど、私も深いところまで到達する話がしたいと思うのだけれど、あれから、あまり深く話すこともないまま。

先生は去年か今年で60歳になったはずだ。

 

勉強できる人間であったがゆえ、なぜかへんてこりんな競争社会の中に置かれ、競争するの向いてないのにできなきゃいけないと思い込み、なぜみんなはしんどくないのにあたしだけしんどいのか、学校ってなんなんだと思っていた。もともと競争社会に乗ることできない、適応できない人間。その価値観を内面化すると自分を壊してしまうので、自分が自分であるために、闘い続けてきた。

というあたしの物語でした。

 

なんだか今日は身体に埋められないものがある気がして書きました。