どうしようもないままで美しい僕ら

大学4年生。かんがえたことと日々の記録(PC推奨)

鈍痛

鈍い痛みらしきものを感じるとしてもどこがどうして痛いのかもわからずただそれを受け止め立ち尽くすしかない昼下がりに、痛くて苦しくても生命は活動を止めることなく、どうしたらいいかわからないのだからどうすることもできないものにまみれて感情と感覚の色が虫歯のように蝕まれる。いっそ血が出たらわかりやすくて良いのだ。信じることも知ることもできずにいる。白黒の生命の躍動の記録。今は汚くて美しいものに縋っている。身体と混沌。苦しみを紛らわす薬のありかを知らなくても過ぎる時とともに行かねばならない。花は守らねばならない。いつになっても取れない僕の枷を見る。

低気圧とレポートについて

ブログを書いている場合ではない。

秋学期に履修したい授業を考えている場合でもない。

ツイッターを眺めている場合でもない。

レポートを書かねばならぬ。

しかし、大学の図書館でレポートを書くことができずにこうして無為に時間を過ごしている。

なぜか。

低気圧である。

私という人間は低気圧により著しくパフォーマンスが低下する。

だめだ。

集中力が皆無だ。

レポートはあと2つある。

明日が締め切りのものと、8月5日が締め切りのものだ。

明日はワクチン②を受けに行くので、そこから絶対に体調が悪くなる。

だから今やらねばならぬのだ。

ブログを書くのをやめて、レポートを書かねばならぬのだ。

などと書いているうちに、時間は刻一刻とすぎていくのであるが、これを書くのをやめることができない。

なにしろ、レポートを書くことができないのである。

だめだ。

だめです。

どうしよう。

ほんとうに、ブログを書いている場合ではない。

ブログの推敲をしている場合でもない。

私には、さっさとレポートを書いてほしい。

でも、書けないのでこうしているしかない。

こうしているしかないのである。

人間関係とケアについて

人間関係っていうカフェ渋谷にあるよね。

前回につづき自分の変容のはなし。メモ。

人間関係に対してガチになってる。

ガチというのは、手抜きをしないということ。全力でぶつかってると思う。

あとは、人間関係がどのような状態にあるかを意識したり、意識的に人間関係をやることが多くなってる気がする。

生きることって人間関係が全てと言っても過言ではないじゃん。じゃん?

今日はちょっとイライラするね。低気圧だからかな?

最近別れた人の恋愛相談&人生相談にガチで乗ってしまった、今日は。手抜きできなくて。結論、「為すべきことはない。ただ苦しみながら待て」という謎アドバイスで終わった。よくわからん。

というか、人間関係にあっさりとこってりがあるって話を昨日してもらったんだけど、僕はこってり人間関係を好んでるのかもしんないなあ。あとはやっぱり、人間関係にガチの人がガチで人間関係をやってるのをよく見てるからかな、さいきんね。あっさりじゃ満足できなくなってきたところはあるね。

相談に乗るのが好きみたいなところは、実は昔からかもしれないけど。

あと、「ケア」という概念、というかその広さや深さをさいきん知ってしまったから、人間関係もぜんぶ「これはケアだな」とか思ってしまうな。で、ケアしてしまう。

 

いつか絶対に読み返すと思って書き留めているけど、ほんとうに読み返すのか?

よくわからないけれど記録に意味はあると思う。

ぶっこわすことについて

良いよね〜って場がまとまりかけているところで、それ違うくね?って爆弾をぶっこむ人になりたがろうとするようになったことに気づいた話。

これは、収束よりも発散が、まとまりよりもぐちゃぐちゃなままが是とされるコミュニティにいるからだと思った。そしてまとまりをぶっこわすことや、型をこわすこと、違和感をぶつけることが是とされる。

こういうことをぶっこわす快感だけでやるようになったらダメだと思うけど。前にも書いたけど、いいものをつくるには大事なことだと思っている。

で、私は他人にどう思われるかが全く気にならない場面が多い人間なので、ぶっこむ・ぶっこわす人になるのは適役なのかもしれないなと思った。

ぶっこみ案件が発生したのではやくぶっこみたくてうずうずしてしまっている…。

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これは大学の僻地(?)の写真。

レポートやってて集中力が切れたから半年以上前のタバコをなんとなく吸ったら(私は喫煙者ではないので半年以上前のタバコがあるわけですが)、ありえないくらい不味かった。けどちゃんと最後まで吸った。あと5本くらいある。

暑い日が続きますね。夏。

写真を撮りたいのに撮れない

撮りたい写真 街、人。

絶対この瞬間を写真におさめたらいいだろうな、おさめるべきだな、っていう瞬間にも撮れない。

街の写真撮れない。フィルムカメラは撮るのに時間がかかるし、街中に急に立ち止まってカメラ構えて突っ立って、人がたくさん往来するなかで写真を撮るのは人の目が気になって厳しい。

人の写真撮れない。人の写真撮るにはカメラを構えなきゃいけない。カメラを構えたらその人は身構えてしまうし。不快にさせてしまうかもしれないから写真撮っていいかわかんないし。あなたの写真を撮って良い?写真撮られるのきらい?とか、聞くタイミングを伺っているうちに、写真撮れなかった、今日も。

 

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偶然見つけたお店が最高だった。そういう嗅覚?引き寄せる力?あるかもしれない。

 

カメラとくらしと人と人々について - どうしようもないままで美しい僕ら

同じ話したかもしれない。

わからずに書くとわかってから書くについて

レポートもブログもだけど、わかんないな~と思ってるところの自分から始まってわかっていく過程を自分の経験したとおりに書いていくのか、ぜんぶわかりました整理できましたという状態から、最初はこう思ってたよって書き始める感じにするのか、両方の書きかたが自分のなかにあって、時系列ごちゃっとしてしまうね。とレポートを書きながら思いました。

とくにこれとかそういうかんじ。

僕のこわいものたち、そして福祉で働くということについて(福祉で働くことは生産性至上主義への対抗か) - どうしようもないままで美しい僕ら

しばらくひとりで

正確になんと言われたのかはわすれてしまったけど、「しばらくひとりで」・「いたほうがいいんじゃない?」?「いるのもいいんじゃない?」?「生きてもいいんじゃないかな」?「生きてみたら?」?

なぜだかそれが心に残っていて、真実という気がする。