どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

定点観測4

痛みや苦しみがないということが望まれるけれど、それってやっぱり、執着しない、何も感じないということだと思うので、痛みや苦しみを失うためにはよろこびや快も失わなければならないのかなと思う。どうなんだろ?わかんないけど。

 

仕事には慣れてきました。ペースを掴む、どう認識すればよいのかを知るまでが苦しいね。

 

 

好きな空(雲)ランキング

 

同立1位

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空がとても青く、そこに白い雲がたくさんぷかぷかしてる、おそらく夏にしかない

 

同立1位

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空の薄い色よりも少し雲の灰色が濃くみえる、この時間帯(宵の口?)特有

 

同立1位

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雲なし又はほぼなし、ただただ透明な青さ(青の濃さは問わない)が際立つ、透明さと青さが大事、グラデーションが綺麗な場合も多い、遭遇率は高め

 

同立1位

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光と影がはっきりして白い部分の白さがきれいでふわふわ、遭遇率は低め

 

同立1位

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後光が差している感じで、私が「天国みたいな雲」と呼んでいる、絶妙、遭遇率はやや低め

 

あとは、

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これは何個かの複合パターン?かなり好き

 

2位

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青色というよりはとても薄い水色、雲も白い色で、なぜそう感じるのかはわからないが「海みたいな空」と私が呼んでいる

 

以下該当なし、そこまで興味がない空(雲)の例

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ぼんやりとしている? あと、夕焼けはそこまで興味がない 青が至高だと思っている

 

おわり

 

ティーエックス(※)?恐竜みたい!」

つくばエクスプレスの略称

5月23日(天気:晴れのちくもり)

またカフェインを摂取してはことばを吐き出す。

世の中には日記を書く人間と日記を書かない人間の2種類がいる、日記を書く人はちかごろめったにいないからすぐわかったわ、あなた手紙も書くでしょう、電話があるのに便箋を何枚も使って、、、喫茶店に置いてあった、山川直人さんの『地球の生活』に収録されている短編漫画?「ウルトラマリン」だったかな?に、そんなような言葉が。

 

澁澤龍彦

シモーヌ・ヴェイユ

高橋源一郎

ユクスキュル。

 

三島由紀夫

マルキ・ド・サド

谷崎潤一郎

川端康成

永井荷風

カフカ

トーマス・マン

宮沢賢治

柳田國男

セネカ

「???」

 

 

あー、

 

あ、

 

 

くちぐせ/くちぶえ/くちづけ

 

 

私が可愛くても、私に恋していても、私に会いたくても、私の趣味が好きでも、私の雰囲気が好きでも、私の知性が好きでも、

 

 

だからあなたが、

わたしはそれを繰り返すことに興味はない。

最近読んでる本『試練と成長』『芸術と福祉』『重力と恩寵』と、そんなタイトルばかりだな!『ジョン・レノン対火星人』は、、、違うか。

 

追記:

久しぶりにみんなと会議!良い時間だった

われわれのたたかいの全貌

障害者入所施設におけるわたしのたたかい

 

1.拒否とのたたかい

たとえば、嫌がっているからといってごはんを食べさせなければ栄養不足になってしまう。「本人のため」には、本人の意思に関わらずやらないといけないことがある。嫌がっているのにやることはつらい。ずっと拒否され続けるとやめたくなる。

 

2.イライラとのたたかい

こちらの思い通りにいかないことしかない。それはそう。してほしいと思ったことしてもらえることほぼないし予想外の動きがいっぱい!え、なんでそんなことするのよ泣泣ということとたたかう。

 

3.これってなんの意味があるの?とのたたかい

どうして誰にも感謝されず高くない賃金でこんなに苦しい思いをしてまでこれをやらなきゃいけないのか?と思ってしまうときだってある、たとえば夜勤中ひとりで格闘しているときに。無力感。これはわたし個人ではなく環境のせいと言ってよいのだけれど。

 

4.排泄物とのたたかい

においがきつい。においがなければもっと簡単なたたかいだった。とくに孤独な夜勤中誰にも頼れないときに排泄物とたたかうときが多い。夜勤中、失禁が起こる。今日のたたかいはひどく大変だった。心の中でぎゃーーーーと言いながらひとり淡々とやるしかない。ちなみに洗濯するのも大変で大切な仕事。

 

5.自分がまともな人間でいられるかのたたかい

思ってはいけないようなことを思う瞬間も当たり前に訪れるのである。

 

6.時間とのたたかい

間に合わない。あせあせ

 

7.トラブルやけんかとのたたかい

人びとどうしのトラブル、何回も同じことの繰り返しでぎゃーぎゃーといやな言葉が聞こえてくる、この日常茶飯事とたたかうのですわ。わたしの心がさすがにもうやめてくれよ、もう何回もそれやったじゃんもういいでしょと言ってる。いちいちやさしく割って入ることがもうできない。

 

8.わたしに向けられるいやな態度や言葉とのたたかい

これは、こうされて嫌だなって思ったことたくさんあると思うけどいちいち覚えてられないから、たとえばが出せない。気づかないうちにこころが疲弊してしまってるのかも…

 

9.肉体へのダメージとのたたかい

からだがとてつもなく大きく重たいひとの介助もあり、腰や足の付け根が痛いですわ。

 

10.丁寧に人と接することができるかのたたかい

人に対するケアも、機械的に効率的にどんどんこなしていくものとして捉えている人に教育されたら、自分もそうなってしまう。人としてみるのではなく、こなす対象として捉えてしまう。相手にもよくないだけじゃなくきっと自分にとっても苦しい。まあだいたい自分が苦しいことが相手も苦しい。

 

11.みんなの余裕のない雰囲気とのたたかい

しかしみんなほんとにわたしなんかより全然全然大変そうに動き回っている。休憩室にいても、聞こえてくる会話の節々、接していてみえる疲労、苦しい。コミュニケーションのひとつひとつ。「急な欠勤は仕方のない場合ありますが大きな負担がかかるので体調管理につとめてなるべく当日欠勤を出さないようにしてください」みんな余裕がない。こんな余裕のないところで働くのってふつうにしんどいな!やっと気付きました。

 

12.苦しさに気づけないこととのたたかい

自分が苦しいことや、どんなことが苦しいのか気づいて形にするまでに時間がかかった。

 

13.生活リズムとのたたかい

シフトワーク、夜勤はつらいよ、やっぱり寝てないとあたまへんになる

 

14.スタッフどうしの人間関係とのたたかい

あーーなんか本人がいないところでそのひとについてしゃべるとき悪口みたいな感じがめっちゃ出てくるのいややなぁ。しょうがないけどさ。

 

15.コミュニケーションとのたたかい

シフト制なのでみんなバラバラの勤務して、くる時間も帰る時間も違えば休みの人がいて、コミュニケーションがとれない。バラバラでまとまらない。

 

16.自分の気持ちを口にできないこととのたたかい

もともと自分から話すコミュニケーションが苦手なのもあるけど、感じたことを話せるような人や場所や雰囲気や時間がないかも。自分の感じたことを職場で話せたの今まで2回か3回しかない。

 

17.カルチャーとのたたかい

これもコミュニケーションの話だけど。ある場において人がコミュニケーションをとるとき、個人の意思に加えて、その場におけるカルチャーにのっとってコミュニケーションをとると考えられる。ここで話しかけるか?話しかけるならなんていうか?どこまで本音をしゃべるのか?どう伝えるのか?ひとにどう接する?なんて言葉を使う?そういうカルチャーの面で、ここは若干バグってて気持ち悪い。でもそれって言葉にしづらい。

 

18.人手不足とのたたかい

これは事業所がどうとかじゃなくて、完全に政治の責任なんだと思う。ケアワークを軽んじるな。

 

19.性別とのたたかい

チームに女性しかいない、男性しかいないというのは、仕事をするうえではバランスが悪い。(男女が違う生き物と思ってるというよりは、文化的なこと、規範から身につける態度が異なってしまうから)でも同性介助が原則なので、バランス欠如する。

 

20.じぶんをたもつたたかい

ケアをすることは相手の身体に成り代わることだといまのわたしは捉えていて、それをやるとじぶんの存在が消失する。フォーカスが相手に当たり、じぶんの心にフォーカスが当たらない。過剰な表現かもしれないけど、じぶんが死んでる状態。

 

21.

 

(随時追加)

やさしさとケアといたわりかた

1.

生理が正常の周期より1週間遅れた。あまり遅れることはないんだけど、前に遅れたときも、(自分にとって)ハードな慣れない仕事を始めたときだったので、同じ感じのストレスなんだと思う。ちなみにそれはコメダ珈琲のアルバイト。

ずっと気を張って忙しく動き回らないといけないところが似ている。向いていない仕事だと思う。ペースがゆっくりの人間だから。

仕事中は、施設に入所されている方(「利用者さん」という言葉が一般によく使われるが、あまり好きではない)の保安・見守りを誰かひとりは必ずしていないといけない。目を離すとアクシデントが起こる。だから一息つく暇もなかなかない。たまたま人が多ければ別だけれど。

というわけでずっとバタバタとしてなかなかお手洗いにも行けない仕事。休憩時間と夜勤以外で勤務中トイレに行ったの今日初めてかも?「トイレ入ります(ので見守りなどお願いします)」と言ってからお手洗いに行かないといけない。

自分のからだから流れ出てきた血液を見て、あぁ、からだから血が流れ出てくるようなときに、なかなかトイレにも行けないような仕事をこんなによく頑張ってるなぁと思って、自分をすごくいたわりたいと思った。

毎日ヘトヘトになって帰る。

 

2.

わたしのことを「やさしい子」とおばあちゃんが言っていた。嬉しい気もしたけど全然ピンと来なかった。

なんでピンと来ないかを考えていた。

わたしがひとのことを「やさしい人」と思うことがないからだと思う。行動に対して「やさしい行動」と思うこともたぶんほとんどないと思う。

やさしさってなんのことなのか、全然わからない。そんなものあるのか?めっちゃふわっとしてるよね。やさしいかどうかって状況によって決まる?

あなたはやさしさってどんなものだと思う?

 

3.

ケアとやさしさは関係があるのかな。わたしはケアの仕事をしているけれど、まあケアとはそもそもなんなのかというのもあるけど、、、

ケアはやさしさではないのだと思う。「ケアをするひと」がやさしくあるのは難しい。なぜならケアはたいへんだからだ。心身がすり減ることはよくあると思う。

 

4.

自分にやさしくしたい、いたわりたいと思ったとき、やさしいっぽい(やさしくみえる形の)行動はできる。お疲れさまって自分に言うとか、ご褒美をあげるとか、ゆっくり休むとか、えらいねって言うとか、できるけど、ほんとうの意味でやさしくなる(する?)にはどうしたらいいのか全然わからない。

自分にえらいねって言うことはできても思うことはなかなかできない。どうやって思う?

職場には、もっとハードに仕事してる人がたくさんいて、残業たくさんしたり、私よりずっと色んなところを忙しなく動いたり、たくさん仕事をしている。それを見てると、自分頑張ってるとかなかなか思えない。(まあそう思えない職場の環境が普通にダメだけどね)

大変な仕事をしているとは思うけれど、あんまりえらいねと思えない。どうしてかなぁ。別にみんなそれぞれ大変ななかで生きてるから、とくべつ自分を褒めることができないって感じかなぁ。

高校生のときは「人と比べてばかりで自分にやさしくできなさすぎ」の特性が発揮されてたけど、大学生のときもっと、自分のことえらいねかわいいねと褒めてたと思う。やり方わかんなくなった。

 

5.

今日のえらかったこと。9時間半、たくさん寝て起きた。ちょっと派手だから変な目で見られるかと思ったけれど自分の好きな服を着て仕事に行った。生理なのに働いた。ぼーっとしてたけど頑張った。初めて聞いたことはメモを取った。昼に注意されたこと、夜には覚えてて、できた。夜ごはん前の準備から寝る前の薬まで、やるべきことをやるべきタイミングでてきぱきとできた。服薬、前より上手くなって、粉をこぼさなくなった。一緒にお散歩行った方に、「お散歩楽しかったですね」と声をかけることができた。服の着脱、前より速くなった。頼まれたことに「もちろんです」と返事できた。苦手な人と一緒に働いた。

やっぱり、自分の仕事に対してポジティブなフィードバックをもらう機会がほぼゼロなのって普通にやばいと思う!

 

また長くなっちゃったよ〜最後まで読んでくれたひと、いつもありがとう。

 

あー、でも、時間をかけてこの文章を書いたっていうことは、自分にやさしくしたってことだと思う。(えらいね)

 

追記:久しぶりにお風呂場で動けなくなった

成長について

(ここまでのあらすじ)

ブログの記事を選んで本にまとめたい!

 

ブログをたくさん読み返している。過去の自分をたどる。なぞる。

え、成長やばくない??

ブログ読めばわかる全部わかる。

ふたつ前の記事(「解説」)、自分の思想をあそこまで言語化できるようになったのすごいと思う。表現、前よりずっとできるようになったね。

みんなありがとう。あなたからみえるわたしのこと教えてくれて。話してくれてありがとう。みんなのおかげです。

 

昨日、「働き始めてから、前よりもさらに、スッとした気がするよ」というフィードバックをもらった。フィードバックっていう言葉、は、どうなんだろう…でもフィードバック。いつもフィードバックをくれるから、愛だと思う。すごく愛だと思った。

はるかちゃんへ

もしかしたらブログ読んでくれているかな?住所が聞けないままだから手紙が送れなくて悲しいです。はるかちゃんに送りたいと思って買った便箋やカードもあるので、書きたいなぁって思ってます。また今年も一緒に燕子花や紫陽花を見に行きたかった。美術館にも公園にも一緒に行きたいなぁ。はるかちゃんとの記憶は花にまつわる記憶がすごく多いことを思っています。

はるかちゃんがわたしのしあわせを願ってくれたのとぴったり同じように、わたしもはるかちゃんのしあわせを(今は遠くで)願っています。

また会える日を心待ちにしているね。会いたいです。

ここに書くしかなくてごめんね、落ち着いたとき、連絡待ってるね

何も急いでないから全部3年後とかでもいいよ これもいつか読んでもらえたら

解説(4000文字)

わたしが考えていること=いつも同じ話してることの総まとめ(まとまらない)

(本に作者の解説?あとがき?のていで入れようかとか思った)(深夜テンション)

 

1.

しあわせ=ウェルビーイング=福祉

 

わたしは幸せについて考えたい。わたしが幸せになる方法について、わたしとあなたが幸せになる方法について、わたしの幸せがみんなの幸せになりみんなの幸せがわたしの幸せになる方法について。

 

わたしのしあわせ=あなた・みんなのしあわせ?

わたしのしあわせのため=あなた・みんなのしあわせのため?

 

たとえばわたしのしあわせは、この世界から来る。雲が大好き。緑、草花も好き。太陽の光大好き。天気、季節、空気、風、匂い、まち、人々から幸福を受け取る。(これらを「自然」と言い換えるのは違うと感じる。)余談をすると、季節に関して言いたいのは、どの季節が好きというよりは、季節のことが好きなのだが、好きな季節をひとつ挙げるとしたら冬だということ。

たとえばわたしのしあわせは、日々のくらし、日常のなかにある。

たとえばわたしのしあわせは、つくることとも関係している。わたしは陶芸が好きで、つくる過程、わたしが手を動かすと、土がわたしのこころとからだの形をそのまんまかたどり、具象の「もの」としてあらわれることがしあわせだ。余談をすると、自分のうつわをさわると手になじむこと、そして表現であるだけでなく実用できるものであること、試行錯誤が必要なこと、焼いてみないとわからないこと、原始的な営みである感じがするところなども、私が思う陶芸のいいところだ。

 

2.

つくること、というのは、表現すること、とほとんど同じ。それは自分の生命の痕跡を記録することにほかならない。それは、わたしの生命の発露。それは、わたしがわたし自身を癒やすことでもある。それは、わたしの生命や、わたしのしあわせに対する祈り。それは、世界に働きかけ、わたしの形を知ること。それは、わたしと世界が作用しあうこと、そしてその記録。

 

つくる=表現

=生命の発露=生命の痕跡=生命の記録=わたしのかけら

=わたしを癒やすこと=わたしへの祈り

=世界への投げかけ=わたしを知る

=わたしと世界の相互作用(の記録)

 

これらがたぶんわたしのしあわせに関係しているものだ。

つくること、記録すること(記録)、表現すること(表現)、いのること(祈り)はわたしの中では結びついている。

さて、記録することは、わたしだけでなく世界の記録にもなる。

 

わたしの記録=世界の記録

わたしのかけら=世界のかけら

 

(ここで「世界」ということばを使っているが、世界というのは「わたし以外」の意味で、あとに説明があるけれど、その要素である「社会」「まち」「ひとびと」「あなた」と読み換えることができる。)

たとえばわたしは写真を撮るのが好きだが、わたしからみえるものを記録することは、それをみたわたし自身の記録でもあり、みられた世界の記録でもある。写真は、わたしと世界を媒介する。写真だけではなくて、ことばを使う場合も同じこと。ことばがわたしと世界を媒介する。これが、相互作用ということでもあると思う。

記録は、なくなるものがあるからする。変わるからだ。あなたも変わる、わたしも変わる。残らないから、残す。そのときのわたし、そのときのあなた、そのときの世界を。それが、生命の痕跡ということだ。生命は変化だから。生命は動くことだから。余談をすると、変わらず繰り返すもののことについて言いたくて、季節が繰り返すこと、そして花が毎年、季節を知って咲くことは神秘的だと思う。そして余談ではない話をすると、変わるものと繰り返すものについて、日々は、くらしは、生活は、日常は、繰り返しだ。生命は、長いスパンで捉えたら変化なのだが、その細部にあるのは日々の繰り返しだ。だから、生命や生きるについて考えるときは、くらし、生活から考え始めることができる。いのちは日々の集積、いのちは日々から成り立っているから、日々を記録することでいのちを記録することができる。

わたしがしあわせになるには、わたしのことを知ることが大事だ。だからこうやって書いて、つくって、自分の形を目に見えるようにしている。自分の形は、自分でも形にしてみないとよくわからない。(形にしてみてもわからないこともある。)形にしないと、世界からのレスポンスがないから、わたしを知ることができない。わたしだけではわたしを認識できない、わたしと世界のあいだに境界がなければ、すべてわたしでありすべてわたしでなくなる。世界とのやりとりがあってはじめて、わたしを認識することができる。

わたしの自己認識についてすこし書いておく。たとえば、わたしの表現について。表現は、話すことが下手だ。でも、わたしの語ること(語り)は褒めてくれる人がいるので、自信をもっている。余談をすると、語りは、「起こる」ものだと本で読んだ。話をもとに戻す。書くのは得意だと思っている。高校生のときから褒められていた。あれ、自己認識にとって表現がいいというはなしをしていたのに例として表現についての自己認識の話をし始めてごちゃごちゃに…。でも、このようにわたしがどんな特性をもっているのか知ることで、わたしがしあわせになる方法を知ることができるはずだ。わたしが褒められるのは、直感、センス、感性、ふわふわ、緩和力、包容力、存在自体、芯、ぶれない、動じない、自分の状態を安定させる、表現、論理、バランス、ガッツ、漢気、素直。

話が逸れているのかどうかわたしには判断ができないけど、この謎ワールドのなかでは話が逸れるとか存在しないとして、(実はたぶん順番に書いてるだけ、)ここで、つくる=表現=「わたしと世界の相互作用」、「相互作用」の話についてもう少し掘り下げておく。相互作用の話がしたかったと思った。さっきはわたしと世界の話をしたけど、これは、わたしと他者(あなた)と言い換えることができる。わたしは、わたしとあなたの相互作用に興味がある。作用があるということは変わることだ。出会う、溶け合う、作用しあう、かわる。影響を与え合うこと、このあとにつづくわたしと世界が不可分だという話につながっていくと思う。(きっと)

 

3.

さて、話は変わるが、わたしがしあわせになる方法として編み出したのは、わたし自身が愛であり光であり力であり世界である、そのことに気づく(そうなるように生きる)ことだ。これは、わたしのしあわせや、わたしの価値はわたしの中にあるということだ。他人や社会のなかにはない。最後の、わたしが世界だ、というのは、世界とわたしが不可分なものであるということ(つまり、わたしはわたしのものではなく、わたしのことはわたしで決めていないこと。そして、わたしの幸福がそのまま世界=わたし以外の幸福につながること)を言っているのだと自分では思う。(だから厳密にはイコール関係ではないか。)そして、自分だけじゃなく世界も、愛で、光で、力なのだということを言っていると思う。うまくことばにできないし、自分でも何言ってるかわからないけれど。わたしに大事なのはそれだけだと、思っているかもしれない。

 

わたし=愛=光=力=世界

 

4.

わたしがしあわせであるためには、わたしがかかわるひとがしあわせでなければならない、わたしやあなたがくらすまちがしあわせでなければならない、わたしやあなたが生きる社会がしあわせでなければならない、わたしが生きる世界がしあわせでなければならない。というのが、わたし(の幸福)と世界(の幸福)が不可分だということだ。ミクロとマクロ。細部と構造。利己と利他。このことに興味がある。わたしのことをよく知るひとで、人間についての洞察がすごいひとが、わたしの卒論を読んで、「あなたは<場と人の関係>、<ビジョンと現実のあいだ>に興味がある」と、言っていたことが、そういえばあった。大きいものと小さいものの関係に興味があるのかな。卒論では、学校という場(社会、構造)が、個人にどんな影響をもたらしているのかについて書いた。もちろん現実はその一方向の矢印ではないという前提で。

と書いてミクロからマクロの橋渡しが終わって、わたし個人メインの話から、社会メインの話にうつりたいと思う。

(と、このパート書いていたんだけど間違えて消してしまった…)

(わたしは福祉で働いているが、それは、自分のしあわせをめざすためでありながら、他者の幸福、社会の幸福にかかわりたいからであるのだろう。わたしはわたしの主観で他者の幸福の近くにいると感じる仕事をしたい。ひとびとをしあわせにできなくしている社会の構造がおかしいと思うから、そこをなんとかしたい。っていうことを書いたんだっけ、、、)

そもそもそんなに社会の話で書くことなかった。でもとにかく、わたしやわたしのまわりの世界に興味があるのと同じように、まちや社会というものにも興味がある。ひとがしあわせでいるための場や構造について。

わたしはマクロや構造に興味があると、自分でも思っていたしそう思われていたと思うんだけど、そのあいだや関係に興味があるのではないかと推論できたのはこの文章の成果だ。

 

わたし⊂あなた・わたしたち(人びと)⊂まち⊂社会⊂世界

 

幸福について考えるとき、この視点で考えている。

 

5.

さいごに、わたしたちは世界の流れのなかで生きていて、さっきも書いたとおりわたしはわたしのものでないから、しあわせというのは、禍福は糾える縄の如し、手に入れることができるのかはよくわからないものなのだ。手に入れようとすること自体まちがっているのかもしれない、あってるとかまちがってるとかでもないか。ただ出会いも喪失も変化もいのちも偶然も関係も、流れていくものだ、きっと。

日々の光をつかまえるだけ。

眠くなったので適当な言葉を並べて終わりとする。もう4時だ。馬鹿だー。とか言わない!おやすみなさい。

 

追記:いつもあんまりしないんだけど、この記事はちゃんと書いたやつなので、あとから「ここはこうすればよかった」って思ったところは編集を加えました。3000文字から4000文字に増量しました。

要約すると、わたしは、わたし、世界(社会、まち、ひと・あなたを含む)、わたしと世界の関係、生命について興味があるのかなって思いました。自分でも何を書いたのかわからないです。