どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

1月26日(木)天気:ゆき

朝起きると

夜のあいだに、たくさん雪が積もったらしかった。

雪のためお母さんの午前中の予定はなくなったとのことだった。その予定のついでに祖父母の家に寄る予定だったがそれも無くなった。

朝はお雑煮をたべた。わたしがお正月にまる餅のお雑煮のことで騒いでいたからだ。お母さんがつくってくれた。

年越しそばも昨日たべた。いや、年越しそばではないが。架空の年越しそば?

福井は、越前そば。そばといったらおろしそば。わたしは子どものときからあまり好きじゃなかった。

でも大人?になってから、あたたかいふつうのオーソドックスオーディナリーそばを食べて、え、そばっておいしい!と思ったのだった。

大根おろしの辛い味付け、それから、冷たいそばがあまり得意ではないのだと思う。

福井県民なのにおろしそばが好きじゃないなんて、とお父さんはよく言っていたような気がする。

 

日記(ブログ)を書くのがただしいことなのか良いことなのか全然わからないが、良いと思いたいわたしである。でも、良いとか悪いとか、世界はそんなに単純じゃないのである。日記という概念には、どうしてだか、熱中してしまうあたしである。

 

ぎっくり腰はもうほとんど治ったはずだが、昨日より痛んだ。

 

午前から昼過ぎにかけて、いくつかの仕事ややりとりをしたと思う。少ししか覚えていない。

まだやるべきことがあったな、といま思い出した。

 

引越し関係の手続きはとても面倒だ。

 

郵便局に行った。

お菓子を買った。

 

雪道はガタガタだった。

 

おばあちゃんの家に夜行って、お母さんからの伝言を伝え、お菓子をもらう。このひとが生きて動いているところを見られるのは、意思疎通ができるのは、ことばを交わせるのはあとどのくらいなんだろうかと考える。縁起でもないのかもしれないけれど、考える。

おじいちゃんは前までは生きていたのに写真になってしまってお菓子と果物が備えられている。

 

わたしが帰ってきたときは嬉しいけど行ってしまうときは寂しいと言う。

 

夜ごはんのあとは映画『悪人』をみた。

深津絵里さん。

 

感想を書きたい気持ちもあるけど、書きたくないのだと思う。でも、書かないと忘れてしまいそうだ。

なんだか・わたしの愛したまち

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お休みのはずなのにやることがたくさんあるなぁ。

新しい仕事の仕事(?)、引越しと退職関係の手続き、スケジュール調整、連絡やりとりなど。

転職のこともあって、タイミング的に、連絡が多い時期。

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景色がつくりかえられてしまって、そこにどんな景色があったのか、どんな景色だったのか忘れてしまった。何度も通っていたはずの場所だけれど、思い出せない。

古いものがこわされて新しいものができることが悪いと決めつけたいわけではまったくなくて、もっとここが豊かになったり、盛り上がったりしたらいいなぁとは思うのだけれど、変わっていく寂しさもある。

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まちは雪で白い。

 

吹奏楽部の部長の風格の話をした。

日記本発送の準備をした。

新しいリュックを買った。(新しい仕事用!嬉しい)

新しいノートも買った。

労災の申請。

先生と会う予定。

 

終わりと始まりの時期にいる。

なんだかやることがたくさんある。

てざわり

昨日のつづき、

つまり、忘れたくないと思うこと。

 

萎れかけた花びらをさわったら、生の感触がして、どきっとした。明らかに、生きているものの感触だ。植物の肌、皮膚。

昨日も一昨日もほとんど何もしなかったと思う。何も書かなければ、溶けてしまう。それは焦り。消えてしまうことへのおそれ。

これを書いている場合じゃないときこそ書いてしまうかもしれない。

引越しの準備を手伝いたいと言われている。

それから、えーと、成り行き上のことも含めて、久々のひとに連絡をとったりして、テキストのコミュニケーションは難しい。返事待つの難しい。

引越しの準備をするための前段階の片付けがずっと終わらなくて面白い。何も進まなくて面白い。

腰の痛みはほぼない。

明日は早起きするのだからこれを書いている場合では全くない。

思い出す記憶は遠かったり近かったりして、距離をはかりかねてしまう。

どうして読んだらすぐ忘れていくような文章を、わたしたちは書き続けるのだろう。

どうして見たらすぐ忘れていくような写真を、わたしたちは撮り続けるのだろう。

どうして見たらすぐ忘れるのに見て、読んだらすぐ忘れるのに読んで、会ったらすぐ忘れるのに会って、話したらすぐ忘れるのに話して、

死んだらすぐ忘れるのに生きてるのだろう。

傷つけてもすぐ忘れる、殺してもすぐ忘れる、感動してもすぐ忘れる、愛してもすぐ忘れる、喜んでもすぐ忘れる、忘れないと思ってもすぐ忘れる。

だから、人の命とか心を、その存在をどれだけ感じ取れるのか、重いと思えるのか、そこに耳を澄ませられるのか、ってことを、ずっと考えてる。あるものを、ないことにするんじゃなくて、あるものを、あるって最大限感じること。

眠たくなってきた。というか、最初から眠たかったのだと思う。

退職のお菓子

おせわになりましたお菓子とメッセージを準備する。

これもお別れのための重大な儀式のひとつである。

 

夜勤明けなのに、おきわすれた退職お菓子を取りに行くため日吉まで行って、なぜか矢上まであるいて元住吉から帰った。一昨日も日吉と三田に行って後輩に会ったから大学生に戻ったみたい。大学生と社会人は時間の流れが違うと思う。

 

恋人がいないと思ってた後輩に恋人がいたと知って衝撃を受けた。3年間も仲良くしてたのに知らなかった。いろいろ聞かれて答えるのが照れる?から言わなかったらしい。

 

わたしも大学院に行きたかったというか、明らかに行く側の人間なんだとは思う。たまたま行かなかっただけだな。

 

いま4年生は、卒論に追われる人、単位何個か落としたら卒業できない人、社会人になれないと言ってる人、大学院に進む人、留学してる人、とかいろいろ、勝手にみんな愛おしいし、このままでいたいし、いてほしいなと思ってしまう。すり減らさずに、損なわずに生きてほしい。

死、生、花

疲れた。

 

けさは、

 

大事にしたいと思ってる関係の人が死ぬ夢をみた。

というと少し語弊があって、死んだと聞いて、死んだのだと思ってショックを受けていたら、実は生きていたのだ。それで、生きているその人を抱きしめる夢だった。

 

死の夢は吉夢と知っているが、「やっぱり生きてた」って夢はどうなんだろう?わからないな。

 

でも、生きていて良かったなと思った。

 

来ない返事、届いたかわからないおくりもの、

 

それから、

 

平賀さち枝の音楽を聴きながら。

 

いっぱい会いたい。

 

夜が暗くなるのがはやい、それなのに、今が何月かわからなくなるのは?

 

愛は重さ比べじゃない。

 

それから、

 

わたしはだいたいいつも眠い。

 

それから、

 

わたしは変わったと思っているかもしれないけど変わってないよというメッセージなのかもしれない。

 

細部に宿る物語。雑誌、編まれたもの。

 

終わりに向かうこと。同時に始まりに向かうこと。

 

生きて、働いて、暮らすこと。

 

それから、そのひとはそのひとだけしかいない。わたしはわたしだけしかいない。あなたはあなただけしかいない。一個しかない。

生命のことしかいつも話していない。嘘かも。

もう終わったものたちのこと。

 

今日は珍しく早番だった。雨で、バスを使って帰ることにした。自転車は職場に置いてきたことを忘れないようにしないと!

この文章はバスを待つ時間やバスの中で書いて、センチメンタルな気分になったので、途中で寄ったスーパーのとなりの花屋さんで花を買った。

花を連れて散歩する気持ち。

 

あとでここに写真を載せたい。

 

(追記)

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