どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

低気圧とレポートについて

ブログを書いている場合ではない。 秋学期に履修したい授業を考えている場合でもない。 ツイッターを眺めている場合でもない。 レポートを書かねばならぬ。 しかし、大学の図書館でレポートを書くことができずにこうして無為に時間を過ごしている。 なぜか。…

人間関係とケアについて

人間関係っていうカフェ渋谷にあるよね。 前回につづき自分の変容のはなし。メモ。 人間関係に対してガチになってる。 ガチというのは、手抜きをしないということ。全力でぶつかってると思う。 あとは、人間関係がどのような状態にあるかを意識したり、意識…

ぶっこわすことについて

良いよね〜って場がまとまりかけているところで、それ違うくね?って爆弾をぶっこむ人になりたがろうとするようになったことに気づいた話。 これは、収束よりも発散が、まとまりよりもぐちゃぐちゃなままが是とされるコミュニティにいるからだと思った。そし…

写真を撮りたいのに撮れない

撮りたい写真 街、人。 絶対この瞬間を写真におさめたらいいだろうな、おさめるべきだな、っていう瞬間にも撮れない。 街の写真撮れない。フィルムカメラは撮るのに時間がかかるし、街中に急に立ち止まってカメラ構えて突っ立って、人がたくさん往来するなか…

わからずに書くとわかってから書くについて

レポートもブログもだけど、わかんないな~と思ってるところの自分から始まってわかっていく過程を自分の経験したとおりに書いていくのか、ぜんぶわかりました整理できましたという状態から、最初はこう思ってたよって書き始める感じにするのか、両方の書き…

しばらくひとりで

正確になんと言われたのかはわすれてしまったけど、「しばらくひとりで」・「いたほうがいいんじゃない?」?「いるのもいいんじゃない?」?「生きてもいいんじゃないかな」?「生きてみたら?」? なぜだかそれが心に残っていて、真実という気がする。

年長者のことばについて

年上の人がなにかを心から自分に語るとき、自分が思ってるよりも強く大きく、自分になにかを向けている。 ぼくもきょうは年長者としての語りを高校生に向けてしたので、それをなんとなく感じた。 年長者に語られるとき、そのことを思って、全力で受け取ろう…

きみといっしょにサヴァランみたいにぐずぐずに溶けてあっているのがしあわせだった

サヴァラン食べたことない。 友達は、食べてみたらお酒の味がつよくて、思ってたのと違ったらしい。 甘やかに甘やかされるのはおわり。大好きだった。

人間の反応と制御と生命について

「自分でコントロールできることなんて限りなく少ないよね」 と僕は言った。 * だから何っていう話をずっと。 自分で決める!こうなりたい!こうありたい!って言ってるけど、ほんとに自分で決めてることなんてないと思う。自分の意志で選べていることなん…

カメラとくらしと人と人々について

目がカメラになったらいい、瞬きでシャッターが切れたら良い。私の存在がいらない、カメラがいらない、レンズがいらない。私がいることで写るものが不自然になるから、そう思う。 でも、カメラがいらなくても、私の存在はあってもいいときもある。私に向けら…

フランス語テレビ番組について(7月1日 天気:雨)

たまたまテレビでやっていた。夜遅めの時間。あまりこのくらいの時間にEテレを見ることはなかったな。いま、2355という番組(?)で、日付が変わる前の5分間から日付が変わるところをお知らせしてくれていて、とっても良い。 私は第二外国語でフランス語を選択…