どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

人間の反応と制御と生命について

「自分でコントロールできることなんて限りなく少ないよね」

と僕は言った。

だから何っていう話をずっと。

自分で決める!こうなりたい!こうありたい!って言ってるけど、ほんとに自分で決めてることなんてないと思う。自分の意志で選べていることなんてない。

じゃあ何が決めてるか?自分も決めてるんだけど、それは自分の意志で、自分でコントロールして決めてるんじゃなくて、自分が勝手に決めてる。コントロール可能ではないと思う。刺激を与えられて反応しているだけなんじゃないかと思う。その刺激もコントロール不可能。だから自分が何か行動や選択をしているとき、自分で決めていると思っても、自分で決めているわけではない。意志は及ばない。反応。

このブログを書いているのも何か受けた刺激に反応しているだけ。

自分を変えよう。と思うことがあったとして。自分の意志で人は変われるのか、それは自分で決めて変わっているのか、みたいなことが気になっている。

結局誰も何も決めてなくて、ただ大きな流れのなかに存在しているような、ただ生きていて、勝手に決まっていくような感じがする。これは、なにも変えられないとかネガティブな意味ではなくて。変えるとか変えないとかも、大きな流れのなかにあるようなイメージ。自分で何言ってるかあんまりわかっていないけれど。

さいきんは、人間と人間の違い、人間の多様性、個体差、みたいなものに興味があるかも。同じ刺激を受けても、自分はほかの人と反応が全然違うんだなって思うし、それぞれの人の反応が全く違うということを感じることが多い。人間、生命。生命って反応なんじゃないかな?とか、虫を見てて思う。何?

全然なんもコントロールできん。仏教の考え方でいえば、自分のものなんてなんもないらしい。コントロールできないものは自分のものじゃない、だから、他人、そして自分さえも自分のものじゃない。それってすごくわかる。一切皆苦諸行無常諸法無我

家の共用の洗濯機がこわれていて脱水ができずに止まってしまったのでそのまま干しているが、いま顔の近くにその洗濯物がある状況で、すごく生乾きのにおいがしている。