どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

社会人になりました 4月1日の日記

社会のひとと書いて社会人です

 

わたしは障害者の入所施設に勤務します。

いま、おかしいと感じること、「うわ」と思うことが、障害のある人についての知識が足りなくてわからないことによるのか、施設の支援が良くないからなのか、正直よくわかりません。私がそれでいいのかな?と思うことも、その方の特性から考えたら適切なことなのかも知れない。

 

安全なこと、楽なことを求めていると、だんだん閉じていってしまう。偶発的なことは、危険と隣り合わせだから、という表現が合っているかどうかはわからないけれど、とにかく「危ない」状況じゃないと刺激や新しいこと、楽しいこと、驚き、発見、ときめきとは出会えない。安全とは命にかかわることなので、障害のある方が「安全に危なくなる」というのは、とてもとても難しいことなのだ。

 

だんだんしょうがないか、こういうものかと諦めて慣れていってしまうらしい。

何が正しいのかはよくわからない。

新しいものをつくるより、すでにあるものを変えることのほうが難しいのではないかと今日一日で感じた。

この感覚が合っているのかはわからないし、そんなことはどっちでもいいと思う。

ただ、もっと、日々のくらしが明るくないとダメじゃないかと思う。家のなかにずっといるくらしは健やかじゃないと思った。

 

さて、副業として続けていこうとしていたプロジェクト(お金が出るのかよくわからない状況なのでいまは副業とも呼べない?)があることによってやることや使う時間のバランスが取れなくなるのではないかと心配している面もあったが、あることによってバランスが取れることもある気がしてきた。

それがないと、自分が何者なのかわからなくなる気がする。アイデンティティの、クライシス。

何者かわからなくなるということについては、会社で働く人になるということがそういうことなのか、私という人間が障害者の入所施設という現場で働くからそうなのか、まあそれも良くわからない。みんながそんなふうに思うのかどうかも。

いろいろやってみないと何もわからないから、とりあえずいろいろ試してみようと思っている。

無理なら無理でいいし、仲間(これは職場じゃなくてプロジェクトのほう)もいるし。

いや、職場のみんなとも仲間になったほうがいいのはわかるけど、魂と出会うのは難しいなぁ。

一緒に飲みに行きたいと思わない人と一緒に仕事しないほうがいい、みたいな言葉をどこかで読んだ気がする。

 

社会人になるというのがどういうことなのかまだわからない。

日程を調整して約束しないと、好きな人と会えなくなること?自分の時間が少なくなること?好きなことをする時間が減ること?なんだかなあ。

社会人になることに対して、そして社会人でいることに対して、なんだかなあと思ってる人は世の中にたくさんいる。

仲間のなかには就職活動をしなかった人が4人、フリーランス、起業、とか、ほかにも何なのかあまり説明できない働き方も存在している。

仕事とは何なんだろう?って考える。

そういうみんなは積極的な選択として仕事をしているのかな?だから、なんだかなあとは、そんなに思ってないのかな。いや、どうやって食べていけばいいんだろうっていうことを、思ってるな…。

 

私が今いるところや、今の働き方が合っているのか正直よくわからない。(入社初日にして、というか、就活を終えた後から私の中で色々なものが変わっていったということもあるから、ずっと前からそうだったともいえる。)

そんな気持ちとバランスをとるように、プロジェクトのことをやっているのかもしれない。

 

今の仕事に納得いってるわけではないけど、仕事していく。

わからないからやるしかないと思う。とりあえず。

あまりにもわからなさすぎる。

 

環境が変わるのは苦手だ。まあ、みんなそうかなあ。

クラス替えも、いつも憂鬱だったし、しんどくなっていた。

 

たくさん書いた。とりとめもないことだった。

明日は、フィルム現像されたのを受け取りに行く、という予定があって、どうしていいかはあまりわからない。