どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

もうすでに春が来ているとして

もうすでに春が来ているとして、わたしはこの、みじかい電車のあいだに、すこしも寒くないから、もらったゴーフルのかんかんと、書かれた字のことを思い浮かべて、僕はまだ帰りたくもないし出たくもないから、どうすることもできなくて、電車は降りることもできずに、この気持ちだけを抱きしめていて、何度も何度も思い出すべきことなんかあるかどうかわからないから、あるのだとしたらそれはどんなことなのかもわからないから、ゆっくりと、ゆっくりと、あなたの記憶、風、風、風、風の温度、

と、空の色と木の枝のこと、花が咲くこと、てざわり、表情、のこと、だけをおぼえていて、わすれたもののことはわすれたままにしておいて、思い出すことも、わたしは、それは過ぎたことであって、わたしだけのものでないわたし、そして、この気分とことばはカフェインを摂取したからだろうと思う。

明日は引っ越しなのだから、準備をしなければならないのだから、帰らなければいけないと思うのに、どうにも。

たとえば、おうちに帰って、ゴーフルを食べることを、落ち着いて考えたら、帰りたくなるか?

いいえ、いいえ、わたしは、今日の夜ごはんをどうするか、まだ決めていないんですもの。

あなたの夜ごはんのことなど知ったこっちゃないよ。

たとえば、それは…

たとえば、

家に帰る方法を考えるのはやめよう。

そして、心が落ち着くのを待って、

帰りたくなるときが来るのを待って、

帰れないときは帰れないのだから、行くべきところまで電車を走らせておこう。たとえば、渋谷に着いたら帰りたくなるかもしれない。