どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

動物

わたしたちは機械ではなくて動物、血と骨と肉。AIともコンピュータとも似ているようで全くの別物で、だって、生命があるのかないのか?チンパンジーとのほうがよっぽど似ている。チンパンジーではなくても、犬でも、クジラでも、クラゲでも、カタツムリでも。わたしたちは誰なのか?わたしたちは頭脳ではない。わたしたちは心でもない。わたしたちは生命であり、動物であり、肉体。もしかしたら、AIとより、ジャガイモとか、ほうれん草とのほうが似ているかもしれない。

1月11日(水)天気:はれ | ときどきある

ひとりでいること。ひとりでいながら、だれかと、だれとも一緒にいきていること。さみしいこと。ひとりでいること。ひとりではないことを忘れないこと。じぶんが安心できるひとや世界の存在を忘れないこと。わたしは守られていること。

期待したことが起こらないちいさな哀しさ。なんども。

調子が悪いときがある。

大丈夫だと思えるようにする方法。たくさん考えている。自分に大丈夫でいてもらうにはどうするか。

どうしようもないときはどうしようもない。いのちなので、毎日一定ではない。自分のこと自分でわからない。でも捉えようとする。

頑張れない、と思うときがある。

 

基本的に、ひとと一緒にいたいし、それからひとりの時間もほしい。

 

いや、わたしは元気で、朝はすこし調子がわるくて、そういうのはときどきあって、そういうものだ。やるべき事務手続き関係をやってとてもえらかった。2時間も寝た。なんでそんなにねむい。

夜勤。ひとりでまわらないのにひとりでまわさないといけないのが嫌。絶対にもうひとり必要。朝7:00〜8:00。

ふたりでまわらないのにふたりでまわさないといけないとか、そういうのがほんとにつらい。休憩時間減るとか。もうひとりいてくださいと思う。ケアが行き届かなくて、求められるのにこたえられない状況、泣き喚く声や怒鳴り声が聞こえてきても、そっちに今行けないよ。。。待ってよ無理よ。。。こっちがあるのよ。。。毎回毎回止めにいけないの。。。というストレス。

 

主任とはじめてちゃんと話した。もうやめるから話せたのかもしれないが、ずっと心をひらいてくれてなかったので、話せたのはうれしかった。いろいろと、思うところはあった。これからもっと頑張ってくれるといいなと思った。お互いにフィードバックして、いい話ができた気がする。

福祉や保育の配置基準、「1人に対して何人をみる」っていうの、とくに障害に関しては、「人によるじゃん」って言ってて、そうだと思った。

 

ブログのタイトルの曜日をふたつも間違えていた。日付がまわってから書いたからなのか?直した。

 

ああ、ほかのひともいろいろありながら生きてるんだな。わたしも生きよう。それでも生きよう。生きることに真摯でいよう。まっすぐ立とう。苦しくても頑張ろう。と思えること。ありがとう。

 

追記:

最近ハイになっていることが多かった。そのぶんのローが今日の午前中来たのかもしれない。ハイになることが多い時期っていうのはある。

円満に、いい形で退職できそうなので、よかった。退職のこと言うのがんばったもんね。そして、今までもコミュニケーション取ろうとめちゃくちゃ頑張ってきたよ。

いよいよ、ここでの仕事も残り少なくなってきた。

1月9日(月祝)天気:はれ

3連勤の3日目。明日は休日。

日勤の日は、退勤時間は20時のときが多い。今日は19時退勤。退勤時間が早いと、得した気分になる。その分はやく出勤してるだけだけど。

19:30、丸く、低く、大きく、黄色い月がのぼっている。のぼったばかりの丸い月はいつも色が濃くてきれいで、見惚れてしまう。ずっとみとれていたい。

仕事を始めてから、写真を撮る機会が減った。わたしはインドア派だけど、外が好きだ。街、まちゆくひと、天気、気温、季節、植物、空、雲。そういうものを愛していて、愛していたいと思っている。写真を撮ることは、それを思い出すことでもある。

今の仕事をやめたら、外に出る機会、撮る写真は増えるだろうかと思う。もしそうだったらうれしい。わたしは空がきれいなだけで大分しあわせだ。

 

服。朝、せっかくいいコーディネートできた🎶かわいい♡と思っても見てくれる人がいないのは悲しい。じぶんひとりのテンションがちょっとあがるだけ。まあそれはめちゃくちゃ大事なんだけどね!

食事。今の職場はお昼ごはんが出るから、へるしーな食生活の基盤が保たれている。やめて、これがなくなるのはでかいなー。

退職のことをいろんなひとに告げて挨拶をしているんだけど、(シフト制なので、みんなに一斉に言えず、会ったときにひとりひとりに言っている、)

わたしは付き合っているor結婚しているような気でいて、1年目でやめるなんてありえないと思っていて考えられなかった、会社をやめることはいけないことだと思っていた、たぶん。しかも新卒で1年目で。いい大学出て、新卒で、就活して、わざわざ行かないようなところ、ある一定の覚悟をもってせっかく選んだ会社だったな。続けようと思ってた、やめないと思ってた。まあわたしだけが重かったのかも?しれない。長い目で考えすぎたというか。人がやめるのは普通のことで、ありふれたことらしい、どうやら。この施設ではとくにそうなのかも。お別れしてもいいらしい。向こうは、というか今の職場の人は、付き合ってるとも思ってなかったのかなぁと思う。

わたしに対して、一緒に働きたい・働こうと思って、できる限り続けてほしい・続けたいと思えるようにしたい、と考えてくれたひとがいるなら、わたしがやめることはショックなはずだ。だって、気にかけてエネルギー使ってきたから。でもそうじゃなかったんだな、とは思う。べつに、いいとか悪いとかではなく。あんまり、育てようとも思ってもらってなかったと思う。長い目で見てくれてなかったし、たまたま一緒に働いてるだけ、いなくなってもまあそういうもの?みたいな。

わたしに対してそう思ってくれてると、勝手に思ってた部分があったので、退職を告げるのは痛くて重い、申し訳ない心苦しいことだったけれど、あぁ、みんなもっと軽かったのかな。と思う。「応援してるよ」とか、「若いうちはいろいろやってみたらいいと思うよ」とか、それは嬉しいしありがたいことだなぁとは思うけど、平然と言われるのは、ちょっと複雑に思う。

まあ、いい職場環境ではないから、ここで続けてほしいとも、続けたらいいとも、みんな思えないのかも。今まで、入っては一気に何人もやめていったことも多かったらしいし、普通に、大変できついし、コミュニケーションも雰囲気もよくないし、ストレスたまるし、しんどいから(悪口が書きたかったわけではなく…)

 

今からごはんを食べようと思う。

 

やっぱり東京の冬は、あたたかすぎる。

1月8日(日)天気:はれ

3連勤の2日目。

年始のため帰宅している利用者さんが2名いて、「2人いないと全然ちがう。いつもこのくらい人が少なければいいのに」と言った職員さんがいた。わかる。

それは、「いなければいいのに」ってことじゃない。いつもこのくらい、ひとりひとりに対して丁寧にケアできるような環境が整っていたらいいのに。っていうことだ。

 

帰ってからジョジョのアニメをみた。

明日は朝から会議なので、早起きしてから仕事に行かなければならず、コンディションがやや心配である。

今日ははやく寝たい。

 

今の職場、のこり2週間。

気遣いについて

気遣いってポーズだと思ってました。「あなたのことを気にかけてます」ポーズ。「わたしは気を使うことができます」ポーズ。「みなさんの役に立ちたいです」ポーズ。

サラダ取り分けとか荷物持ってあげるとか、自分でやるからいらねーと思ってました。ポーズとるなと思ってました。そういうふうに振る舞う規範は、うざったいと思ってて、意味のない規範に従いませんと思ってました。

そう思ってたことに気づいて、どうやらそれだけでもないということに気づいた。

気遣いの訓練してきてない、苦手分野だから練習しなさいとテーマとして与えられたので、勉強中。

気を使うっていう言葉嫌いだったから、こそ、勉強してみる。

サラダ取り分けとかじゃなくて、ほんとの気遣いができる人はすごいんだなと思う。

 

今日は北海道から来ていたWくんと、Aに会った。人生って感じ。それぞれ進んでるんだなと思う。

 

調子があまりよくない。胃の調子と、全身の不快感。脳みそは大丈夫。

①低気圧

②胃の調子がわるいためごはんをちゃんと食べていなかった

 

仕事の実用書、自己啓発みたいなやつも煽ってくるみたいで嫌いだったけど、必要なものは読んでいく。仕事ができるようになる必要があると感じている。

仕事ができるようになりたい、も、なんかハマらないしよくわかんない、うーん。。て感じがしてた。前までは。でもちょっとずつわかってきた気がする。

 

仕事できるようになる。気負いすぎず!

新年の抱負を書きたい、買った本のことも書きたい

【新年の抱負書きたい日記】

【新年の気合いで買った本のことも書きたい日記】

 

また夜勤。もういいやろ。

頑張ってるんだけど、がんばる理由がうまくつながってなくて、こころ、からだ、自分自身、仕事が一致してないこと、エネルギーの回路が切断されてることをがんばるのは、健やかじゃないから、やめる、んだと思う。今の仕事はちぎれたまま頑張ってる。

自分自身のエネルギーがめぐることを望む。

 

新年の抱負を書くのはエネルギーを使うので、今日は書けないと思う。

 

お母さんから、実家でのお正月の話を聞いて、あああ帰りたかったああ、、、と思っては、いや、いいもん!いい年越しとお正月できたもん!!と思うのを繰り返してた。

きっともうこんな、ふたりとも何かに入り込めずにふわふわと漂っているような、誰かとの年越しとお正月なんて、訪れないのだろう。曖昧で、微妙な。強固な関係じゃない、ゆるふわっと中心を外れた関係の。

微妙っていい意味ね。

 

書きたいと思ったことをあえて書かない!

じつはそんなに書きたいと思ってない、というわけではなく、今はちがう、のである。

 

今日は職場の人に「違ったらあれなんですけど、もしかして…やめるんですか?」と聞かれて、ああやっと言える、と思って、ちゃんと話せて、それが良かった。これからも、ちゃんと話していきたいと思う。

でも最終出勤日が夜勤だし、シフト制で人が揃わないから、やっぱりふわっっといなくなることにはなる、、。

 

調子が悪いのはだいたいしばらくすれば落ち着く。あ、なんか最近調子悪くなること多い?

ちかごろなかったかも?コロナで休んでたからか。?

 

はい、じゃあまたねー。