どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

どうしても丸餅のお雑煮が食べたい、年を越したい、お正月をやりたい

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おはようございます。1月3日、朝。

ようやくお休みの日です。実は。

12月30、31、1月1〜2(夜勤)と、仕事もあったし(!)、東京にきている友達(同僚?)と一緒に時間を過ごしていたし、で、ブログを書きたい気持ちでいっぱいだったのになかなか書く時間がとれなかった。

元日夜勤のときはめっっっちゃ調子悪くて、新年早々に、最悪な気分になった。もう無理ぜんぶ無理、もう頑張れないよ、たすけてと思っていた。ほんとにつらかった。

仕事があると、当たり前だけど、ゆっくり年越しやお正月をできない。

(わたしにとっての)ブログは、というか、日記は?、「いつ書くか」次第だと思っていて、それだけが大事だと思う。そのときのことを逃さないこと、そのとき出てくるものを記録すること。それだけだ。

だから、文章が日を跨げない。途中まで書いた文章を、次の日に続きを書くということはできない。

それが日記ということなのかも。

夜勤中に途中まで書いたけど、いまこれを書き始めるので、途中まで書いたやつはぜんぶ捨てた。

 

さて、ここからはしっかり書いていきたい!

なんせ、書くこと、書きたいと思ってたことがたくさんある。

 

年越しとお正月をやるには(感じるには)どうすればいいのか?わたしにとっての年越しとお正月とはいかなるものか?というのが、この記事の1個のテーマ。それをずっと考えていた。

それも含めて、年越しとお正月の、感情やできごとを記録する。そして、新年の抱負も。

そんなことを書きたい。

長くなりそうですが、よかったらお付き合いください。てきとーに読み飛ばして、読みたいとこ読んでくださーい!

 

年越しとお正月をやるにはどうしたらいいのか、という問題。

わたしは年越しとお正月に対するやる気はめちゃくちゃあった。それらを特別なものにしよう、年越しを、お正月を感じよう、やろうという気持ちがめちゃくちゃあったのだ。やろうとしていた。

しかしなかなかうまくできていないと気づいた。なぜわたしは年越しとお正月をうまくできないのか(年越し感、お正月感を感じられないのか)という問題。

それについてずっと考えてる。

 

わたし(の家族)の年越し、お正月のルーティンがある。それが年越しとお正月をやるうえでの基本となっていると考えることができる。そこに何の要素が含まれているのか、分析するところから始めると、わたしにとってのそれらが何なのかということが見えてくるかもしれない。

 

【いつもの年越しとお正月の過ごしかた】

年越しは福井でやる。生まれてから、元彼と年を越したときが一回あった以外は、たぶんずっと福井で年を越していると思う。

晦日は、焼肉かすき焼きをやる。かつては焼肉だったが、油がとぶのが嫌だという理由で、近年はすき焼きになっている。おじいちゃんとおばあちゃん(隣に住んでいる)が、お肉や野菜、それから水ようかんを持ってくる。(福井では、冬に水ようかんを食べる風習がある。)紅白が始まるのを待ちながら、準備をする。新聞に書いてある、出演歌手のプログラムをみんなで見る。ジャニーズに対する感想を言う。ごはんをみんなのぶんよそう。すき焼きを食べるためにたまごを割る。おじいちゃんとかお父さんが、よそってくれる。ごはんを食べ終わったら、おじいちゃんは先に帰る。おばあちゃんは少しゆっくりしていくが、遅れて帰る。

お風呂に順番に入る。興味のない歌手が出ているタイミングを見計らって、興味のあるところに間に合うようにする。

お母さんが年越しそば(おろしそば、大根おろしの、冷たいやつ)をつくる。みんなで食べる。水ようかんも食べる。

紅白が終わると、年越しに近づいてくる緊張感を感じる。カウントダウン、年を越したら、家族にあけましておめでとうを言う。寝る。

朝起きる。おせちとお雑煮を食べる。年賀状を誰宛かによって仕分けて、見る。おばあちゃんちに挨拶に行く。寒い。ストーブであたたまる。お正月は、だいたい雪が積もっている。

もう一方のおじいちゃんおばあちゃんのうちにも顔を出す。みんなでおせちやご馳走を食べる。

夜は、みんなで格付けチェックをみることに決まっている。我が家は音楽に関わってる・きた人ばかりなので、吹奏楽とか、四重奏のチェックの予想には、当てようと気合いが入る。

初詣。初詣は、劔神社という神社に行く。いつも初詣でお世話になっている。だいたい雪が積もっているので足元に気をつける。おばあちゃんの手を引く。おまいりに並んでいる人が多いときもある。1日は多い。2日、3日くらいに行くと少ない。おまいりして、おみくじを引く。おばあちゃんが1000円お小遣いをくれる。甘酒や、じゃがバターを買って食べる。

毎年毎年、ずっとこれを繰り返してきた。呼吸をするように。

 

年を越すには、お正月をやるには、こうすれば確実にできるのだ。つまり、今のわたしには、これらの要素のうちどれかが欠けているからできない。

何が欠けているのか?

 

もう少し真相に迫るためには、今回の年越しとお正月をどう過ごしたかということも、書いておく必要がある。

ちょっと書くの疲れてきた。。。

 

【今回の年越しとお正月の過ごしかた】

・12月30日

勤務。遅番。前日まで合宿(2月からの勤務先のこと)で大阪に行っていたので、疲れを残して10時出勤。みんなコロナにかかって休んでいて、少しずつ復帰してきている人もいる状況。あまりにも人が足りない。通常3名体制でまわしているところを2名でまわす。まわらない。これは1月2日までの勤務でずっと同じ。

人がいないため1時間超勤して20時退勤。友達が泊まりにくることが決まっていたので、お正月にはお雑煮を食べようと考えていた。その子も滋賀出身で、お雑煮は、丸餅と味噌だと決まっている。絶対に丸餅でなければならない。四角いのはゆるせない。丸餅が全然売っていない。1バリエーションしかない。諦められない。家に帰って通販も調べたけどぴったりはまるものはなかった。

 

・12月31日

早番8時出勤。利用者がコロナ療養期間終了しつつあり、しばらくできていなかった入浴が可能に。全員をお風呂に入れる必要はないのに、その日の相方が入れるという。わたしは全員入れるのは厳しいと思っていたから、時間的にも体力的にも、だからそう伝えていたが、相方は譲らず、まあ大丈夫でしょと。やっぱりわたしはへとへとになって退勤。友達が家にすでに着いている。好きな人に会う瞬間好き。

ゲット・クレイジーという映画をみにいく。狂騒映画。セックスドラッグロックンロール。狂い、はしゃぎ、いかれる映画。楽しいけど、コメディ要素にレイシズムやセクシズムが含まれていることに時々ウッとなる。映画の話をしながら帰る。丸餅を探そうと言って、コンビニとスーパーにいっぱい寄るけど、売ってない!

そうしているあいだに、年越しの時間は近づいている。年越しそばを食べるのが間に合わないかも!果たして年が越せるのか?!2022年に取り残されないか?!とはしゃぐ。そばは家にあるから、年を越せることは決まってるからすでにOK、そばにワンタッチできるか、茹で終えられるか、どこまでできるかで、加点方式!帰ってそばを茹でる。

年を越せるか不安になりながら、ちょっと半泣きで、年を越す。

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・1月1日

年を越せた!

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おそばおいしいー。

寝て起きて、お雑煮の餅を買いに行く!空が青い、気持ちいい朝!

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お母さんにお雑煮のつくりかた電話で聞きながら、お雑煮つくる。

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丸餅じゃないから、存在しないはずの「角」が存在してる。

それから、初詣に。行ったことのない神社。だがいい神社。彼と一緒にひいたおみくじが、なんと44番で同じおみくじだった!

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ふたりとも、今年引越しするのに、やうつりは十分ならずと書いてあって笑った。一緒のお守り買った。

それから、帰って、ごはん食べて、すこし寝て、夜勤に行った。

夜勤15時半出勤。人足りない。疲れる。夜勤嫌いだ。元日に夜勤。ときどき頭痛いし、低気圧のせいか、すごくすごく調子悪い。イライラして駄目。時間が経つと、少し落ち着く。

 

・1月2日

夜勤中。頑張って仮眠を取る。起き出している人がいて、見ておかないといけないか迷いつつ、寝ることに集中する。もう、眠くてイライラするのも、眠いのも、つらい、ほんとに嫌だ。

9時半退勤。寝る。17時過ぎに、彼が帰ってきて、起きる。レストランで夜ごはん食べる。

お正月感がないという話をして、新年の抱負を喋ったほうがいいよ!と抱負を考える。仕事の話。楽しい〜〜!!仕事の話、したかったんだなあ。これからもしたい。

ジョジョの話も、した。

 

・1月3日

今。お休みで嬉しい。ああ、お休み。お休み大事。たまっていた録画を見ながら、パジャマのまま、これを書いている。お正月感、出てきてるか?!

お正月感、今日ようやく感じられるのかもしれない。

 

お正月をやるのに必要な要素かもしれないものリスト(検証中)↓

1.福井

2.おせち、丸餅のお雑煮、水ようかんなどの食べ物

3.家族

4.休み(働かないこと)

5.劔神社の初詣

6.年越し・新年にいつも見ているテレビ番組

7.寒さ、雪

 

4.が欠けていることは確実に、影響している。確実に!!!

だから、今日いけるかも。

 

長くなりすぎたので、この記事はこれで終わりにします。

新年の抱負も、書かないといけないので、また書こうと思います。

書くのにたぶん2時間くらい、かかった!

仕事で何にイライラするのか覚えておきたい

明日から友達が家にくるので掃除と片付けをしないといけないと思う。でもわたしはそれが苦手で、やりたくない。だからブログを書き始めてしまった。間違ってる。

書き終わったらちゃんとやる。やるぞー。

書く前にタスクを確認する。

OK。

明日は早番。

仕事、8時間は長いなぁ。

 

何にイライラするのか。

ケアは、イライラする仕事だ。真正面から言うと。

人間として見られなくなるときもどうしてもある。ほんとうに、率直に書いている。それも大事だと思うから。

不快になる人がいるかもしれない内容なので、もし無理かもと思ったら読むのやめてください。率直に書いてます。

 

※いつもこう思うわけではなくて、追い詰められてるとき、調子が悪いとき、無理なことが重なるとき、疲れてるときの感情を、忘れたくないし、自分で認識しておくことはとても大事だと思って書いてます。ご容赦を!!

それから、わたしはみんなのことをとても愛しているのですが、同時に無理になってしまうときもあるということです。それを理解いただける方は読んでください…(たぶん、子育てと同じです)

 

食事介助中、こぼして下に落ちた食べ物を手でつかんで口にいれてしまうとき。めっちゃイライラする。動物じゃないんだからと思う。食べちゃいけないものは食べちゃダメ。

ていうか、疲れてるときやイライラモードのときは、「自分でやってよ」って思っちゃうんだよな。勘弁してよ無理だよって思う。

トイレから出るとき、パンツとズボン自分でちゃんとあげてよ、と思う。あなたがその状態でいいんならわたしも別にそれでいいですけど、と思う。

自分でトイレから出てこられない方、いや、自分で出てきてよと思うし、

それから着替えのときはイライラする。なかなか袖が通らないとき。手伝うの疲れる。自分でやってよと思う。

言葉で「ダメです」といっても伝わらないとき、イライラする。人が嫌がることをするとき、言っても止まらないとき。なんでいうこと聞いてくれないんだと思う。やっちゃダメなことぐらいわかってくれと思う。

何回も同じことを大きな声で喋る人。イライラする。「こんなにできたよー、みてー」、反応しているのに、何回も何回も何回も言われて、もうわかったよと思う。

思い通りにいかないことはイライラする。

水分補給でお茶を飲んでくれないとき、めっちゃイライラする。いらないんなら、じゃあいいよと思う。

何回も同じことを嫌味ったらしく言う人。イライラする。

人に何か言われることに過剰に反応する人。別にいいでしょと思う。あなたが反応するからみんなちょっかいかけるんだよと思う。そう言っても伝わらないことにイライラする。

しつこくされること、イライラする。忙しいのに何度も話しかけてくること。

自閉症で、待てない人。身体を洗っている途中にシャワーで流そうとしたり、次の行動にうつろうとしたり、待てなくてずっとずっとずっと急かしてくる。調子が悪いと耐えられない。

 

たぶん今日は調子が悪いので、イライラするときの気持ちで書けた。

若干うしろめたいです。

頑張りたい

【頑張りたい日記】

 

日記好き。日記大事。日記書きたい。書くことの欲望。欲求。

 

頑張りたいけど頑張り方がわかっていない。ということがわかったので、学んでいきたい。ご指導ご鞭撻をいただきたい。フィードバックを。

頑張り方がわかるっていうのが仕事ができるってこと?

仕事ができるようになりたいっていう言葉、今まであまりピンと来なかったけど、人の役に立ったり、人にいい影響を与えたりしたいってこと。

仕事できたい。

なんか、自分がどうしていきたいか、どうなりたいか、何をなんでやるのか、どういう気持ちでやったらいいのかってことが、前よりちょっとわかったかも。からだに落ちてきたというか。

 

明日からまた仕事。

年末年始に福井に帰れないことはとても寂しい。自分が思ってた以上に。

でも友達が、東京に遊びにきてくれることが決まった。ひとりじゃなくて、よかった。

性別が違う人が、「異性」ではなく、「ひとりの人間」として見てくれることって、ある種の救い??であるのだなと、インスタグラムに載っていた文章をみて思う。

とくに女性は?、にんげんではなく「おんな」として見られることに慣れすぎている。だから、自分から無意識にそういう役割を演じてしまうことが多い。それって最悪なんだよ。搾取とか消費をされにいく、対象になる、モノになるってことなの、

それをしなくていいことが救いになってしまうこと自体が、なんというか、やるせないけどねー。

女とか男とかに限らず、障害者だってそうだし、なんだろうね、

うまく書けないや。合宿で疲れてるせいだと思う。

今日のところはお休みなさい。

お別れ

大掃除をした。(というほどの大掃除ではたぶんない)昔書いたノートをひらいて文字を読む。この部屋とももうすぐお別れに近づいていることを思う。

大学4年生のときの授業で、もうひとりの自分と話す劇をつくる課題があって、台本をつくった。その台本も、部屋に置いてあったから、掃除ついでに読んだ。その授業があったことで、わたしのなかの何かは確実に変わって、傷を癒やすことができた?のかな。いちばんやわらかいところ。心の奥の奥の奥の、みえないところ。

 

いまも大きな別れの時期だ。引越しと転職。

区切りをどうつけるか、ちょうど考えていたので、あのときみたいに、また台本を書いた。

 

ふたりの自分が話す台本、①のわたしと②のわたしの会話です。

 

ーーー

①わたしあと1ヶ月で死ぬんやって。わたし、ここで生きてくつもりやったのに。


②ほんと?ほんとに、そこで生きてくつもりやったんか?


①ちがうかもしれん。


②あなた、そこで生きていくつもりやった?


①わたし、でも…。でも、ここで生きることに、夢をみてたし、希望をもってたし、誇りももってた。ここでやるぞと思ってたよ。そうじゃなかったら、


②そうじゃなかったら?


①そうじゃなかったら、あんな大変な現場に、自分から行こうと思わんかった。


②たしかに、やる気はあったんじゃない。決意も覚悟も、あなたなりにしてたと思う。自分から、いちばん大変な場所を選んだのは、覚悟のあらわれやと思うよ。


①うん。せっかく頑張ったのにな。なんでわたし死んでまうの。


②わたしたち、話し合ったやろ。


①そうやけど、わからんくなってまうよ。


②なんでかって、わたしたちが選んだからやで。


①そうやなぁ。むごいなぁ。現実、きびしいなぁ。


②そうやな。あなたは、子どもやとは思うよ。これから、わたしは、きびしい現実を生きなあかん。でもあなたはそんなところを、生きんくていいんやで。


①どういう気持ちになったらいいかわからん。


②ごめん。でもわたし、あなたのこと大好きやから。お別れするとしても、あなたがあなたやったこと、誇りに思うし、愛してるし。絶対、あなたが苦しんだこととか、ないがしろにせんし、あなたを抱えたまま、抱きしめたままで、生きていきたいなって思うよ。


①センチメンタルやな。やけに。


②これ、お別れなんやで。なんで1ヶ月も前にって話もあるけどな。


①そうやな。でも、大事なんじゃない?ちゃんとお別れするってことは。次に進むためにさあ。


②そうやと思うよ。もう、お別れの気持ちの準備はできてるの?


①わからん。死ぬってどういうこと。いなくなるって、どういうこと。


②死なんのかもしれん。見えんくなるだけで。生きてるんかもしれん。ちゃんと。


①じゃあ、ちゃんと見ようとしてくれる?


②わからん。あなたは、いなくなったほうが、わたしのためなんかな…。


①それは、悲しい。


②あなたがいたことは、忘れんよ。ずっと一緒に連れてくことはできん。でも、あなたが生きてたらどこかで、またちゃんと会えるよ。だから、ちゃんと、お別れはお別れやから、そこははっきりしよう。


①わかったよ。わたしからも、なんか言わせて。


②うん。


①応援してるよ。やるって決めたこと。自分の道はそこやって思ったこと。それでいいよ。選んだこと、正解にできるよ。絶対できる。あなたはできるよ。タフネス、あるし。あなたは、あなたのためにやる。あなたが選んだ道を肯定する。そのために頑張りなさい。いつも頑張ってるの見てるから。わたしがいなくなったあなたは、もっと強くなると思うよ。寂しいけど、いいと思うよ。あなたが信じるもののために、闘ってみたらいいよ。それがまだ何なのかはわからんくても、ちゃんとわかると思う。信じていいと思う。応援してるから、ちゃんと遠くでみてるから。それだけ。


②ありがとう。頑張りたいと思ってる。心から。あなたが一生懸命に生きてたってこと、わたしだけは忘れない。じゃあ、さよならしよっか。


①②じゃあ、また、どこかで。

念入りな散歩

念入りな散歩っていうのは誰かが使っていた言葉だけれど、いい言葉なので借りさせてもらう。

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指輪を買った。

「日光にかざすときれいなので晴れた日に連れて行ってください」という趣旨のメッセージがあったので、一緒におでかけした。

今まで、全然近所を散歩したことがなかった。ということに気づいた。

まあ、住むの1年目だからっていうのもあるけど…前住んでいた街のことを思い出してしまう。大学3年間住んで大好きだった街。恋人との思い出も詰まった街。すべてがあった街。

1年も住んでいないのにもうこの街を出て行こうとしている。いい部屋だったし、いいところだったと思う。でも、あんまり街と関係できなかったかなあ。もっと休みがあったなら、と思った。

ライフはビューティフル

せっかくコロナかかったせいでこんなに休みなのに家でひとりでダラダラして寝たり起きたりポッドキャストきいたり音楽きいたりツイッターみたりしているだけでなにも生産的なことをできていなくてもったいないなあと思ってしまう、けれども、それはそれでいいと思いたい、思いたい。でもやっぱりやるべきことはやっておくようにしないとのちのちいやなかんじになるのでちゃんとやるようにしたいが、生活にメリハリがつかなくて難しい。カフェに行って作業とかもできないしね、言い訳になるけど。それから、新居のライフライン代行業者、前回嫌な目にあったのにその反省を生かしきれなくて甘かったかもしれないと思うし、ほんとうに一方的な感じで、お金のための変な要らない構造が裏にあるのを感じて、最悪で、気持ち悪くなる。お金お金のために人を嫌な気持ちにさせるものはこの世から根絶されてほしいと思う。煩わされるのも、それのことを考えないといけなくなるのも嫌だなと思ってしまう。あーあ。

ポッドキャストコードーラジオというのを聞いて、よかった。(「区切りをつける」の回)それから、映画ライフ・イズ・ビューティフルをみた。ほんとそのとおりで、ライフはビューティフルなのだ。

すこしずつ2022年を振り返って2023年への移行を始めることとする

2022年になった瞬間のわたしの気持ちに戻ると、わたしは空想の世界で燃えていた。そこには現実はなくて、ただただ「わたしはこれからやるのだ(何かすごいことを)」と、地に足のつかないところでふわふわしていたと思う。

あなたの書く文章はとてもきれいだから、好きだ。

 

3月には、京都にも行ったし、それから、沖縄に行った。

9月とか10月くらいにはたしか、沖縄に行ったことは、すごく近い記憶だったと思うのに、12月になって急に距離が離れた。わたしから遠くに。

沖縄にいたときのわたしに身体を戻すと、わたしはこれからこのひとたちと、どのような形であれ一緒に生きると思っていた。

今となっても別に間違っていないのだけれど、あのころに思っていた形とはずいぶんちがっているんじゃないかな。離れていくとは思わなかった人が離れていったし(Wくんのことも Nさんのことも)、人が離れていくということにわたしはまだ慣れていなかった。

 

4月になってからは、摩擦・拒否反応・破裂・爆発があったと思うんだけれど、最初のころはそのことにすら気づいていない。自分がどういう状態なのか、自分の位置を把握することもままならない。

そこから、働いて数ヶ月目にして転職話が持ち上がってきて(表現わからない)、わたしはそのとき、揺さぶられること、ぐらぐらして、揺さぶらないでと思った。ずっとなにもわからないままに、ぐらぐら揺れていた。

夏の記憶は、喉が渇く入浴介助と、施設の居間のテレビで流れる甲子園と、ああ、それから、おじいちゃんが亡くなったことだ。それで、2回も福井に帰った。

おばあちゃんちの座敷で横たわるおじいちゃん、もう動かなかった。身体の形は生きているときと同じなのに。

 

それから、ひょんなことから、仕事のこと、わたしたちがやってるのはとんでもない罪で、おかしなことなんじゃないかと思うようになって、自分が何をやっているのか、苦しいような気持ちになって、でも何が苦しいのか、何か問題があるのか、これでいいのかわからなくて、でもなんか間違ってるかもしれないって、わけがわからなくなって混乱していた。

そんななかでも、Nさんと話したことは、きっとみちしるべになってくれていたと思う。

ゆっくりと、ばらばらになってしまったじぶんの形をとりもどしていく。

 

転職については、ずっと選ぶことは不可能だと思っていた、ありえないとどこかで思っていた。まあ、まだ判断する時期にない、と思っていたのが大きいかな。うん、そうだったと思う。要するに先延ばしということではあるのだけれど。

10月1日には大阪にいた。子どもだと言われた。

4人でカラオケした。万博公園にも行った。太陽の塔、コスモスをみた。

 

11月のおわりにやめると決めた。そこからもまだしばらくは、吹っ切れたわけじゃなくて。急な変化に追いつけない自分もいた。

でも、Tさんと話して、ノートにお礼書いて、気持ちをもう一度整理して、メッセージやりとりして、そこからよくなっていった。

 

それから、日記祭があった。これも、大事なことだ。

あぁ、書かないとこんなにも忘れたままでいてしまうことが多くて。

じぶんがやりたいと思ったことを、ちゃんと形にしたし、自分の興味のあることにもっと興味を持てた、ほんとうに素敵なことだった。それを通じて、会えたこと話せたことも嬉しかった。

(日記祭の日の日記→12月11日(天気:はれのちくもり)生きることも悪くないと思って生きたい - どうしようもないままで美しい僕ら)

 

それから、友達は、サオリの家には何回もお邪魔させてもらったから、嬉しかったな。おいしいごはん食べた。ハルカちゃんからは、誕生日、連絡がきてほんとうに嬉しかったし、日記本も送れた。メグミンには、あ、誕生日のお祝いとしてケーキを焼いてもらって、おいしかった、それからピクルス(のぬいぐるみ)ももらった、吉祥寺で遊んだ、もんじゃ焼き食べたし、家の最寄りで飲んでお泊まりもしたなあ。

 

それから、ここに名前を書かなかったひとのことも、忘れていなくて、じつは支えてくれてる人、ときどきそばにいてくれる人、わたしのことを応援しようとしてくれる人、いつもお世話になっています。ありがとう。ありがとうございます。

 

あ、お父さんもお母さんも東京に遊びにきてくれた。それから最近すぎて逆に忘れてたけど12月に京都に行ったこと。

 

こんなにイニシャルと個人名を出して、ひとのことを思い浮かべてブログ書いたの初めてかもしれない、読んでるひとみんな誰のことかわかんないから大丈夫だとは思うけど、名前があがってるひとで気になることがあったらおしえてください。

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夏のあいだの写真。

 

はやくいまのフィルム現像したいな。何を撮ったか、ほとんど覚えていない。(さつまいも料理はいっぱい撮った。)