どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

欠如について

とくに書くことがないのに書きたいというのはいまこの瞬間僕に何かが欠如しているから、表現は欠如から来るから。この欠如はいまのぼくだけの欠如だから埋める必要もとくにないのだけどこうせざるをえないときもあるのね、なにかに執着することも欠如から来るし、欠如が感情なのかどうかもわからないけど、環状島のことを勉強している。これは詩の一種なのであってそれ以外の何物でもなく、リアルではなくフィクションの表現だと思うけど、表現するということ自体がすべてフィクションなのかな?どう思いますか?なんの意味もなさない言葉を話すことだって簡単にできるし、コミュニケーションとっているふりをして本当は何も交換していないことだってある。このモノローグだってなにかのふりをしているけど何でもない、これってなんだと思う?