どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

11月29日(天気:くもり)今日は心のやわらかいところの話しかできない・書くことのセルフケア

メモ:「わたしだったら〇〇だけど、わたしはあなたじゃない(あなたはわたしじゃない)」

 

気圧のせいか。なんか色々と終わってる。

施設では気圧、天候の影響を受けやすい方が多い というか 影響があるとそれをもろにそのまま読み取れる方が多いので(わかりやすい)、 人間って、こうなんだなぁと思う。しかし わたしは気圧が原因で調子が悪くても、そのことをゆるされはしない(と思ってるだけではあるが)。ケアする人のケアは誰がするのか?わたしたちは永遠に消耗しつづけ減りつづけずっとギリギリのまま、ずっとちょっとずつ限界のままなのか?まあ、休日があればそういう気持ちじゃなくなるんだろう。仕事は疲れるし、わたしは疲れている。

人が人を認識する枠組みはそれぞれバラバラだから、わたしが「この人にはこう思われてるんだろうな、こう認識されてるんだろうな」と想像しても、全く違うのかもしれない。想像できないくらい違うのかもしれない。だって全く別の生き物なんだから。

 

 

(続)

ことばにすることで壊れてしまうので、あえて形を持たせないものもある。

 

もうすぐ辞めるので、ここにいるうちに、ここでのことをもう少し書き残しておきたいと思う。

 

今日は本当に疲れている。気圧のせいは確実で、生理前のせいももしかしたらあるかも。それと、ずっと実習生と一緒だったせいもある。帰り、自転車をこぐ気力もなくて自転車引いて(押して?)歩いて帰った。

仕事中、一息つく暇もなくて、(一息つくのは自由なのかもしれないがそうできなくて、)最後のほう息が切れて苦しくて、身体があつかった。

 

仕事中には、自分がしんどいとか疲れてるとかつらいということにも気づく隙がほぼなかったんだなと思う。

同期の子、わりと自分の気持ちをオープンになんでも喋れる子がいるんだけど、今日はその子とシフトが被っていたので、その子と話す隙があると、「あぁ疲れたー」とか「今日ほんと全然無理だね」とか話せる。その子がいなければ、疲れてるとも無理だとも、思ってるようで思ってないというか、心の奥に閉じ込めていて、それを感じることができない。喋れる相手がいることでしか認識できない感情。

 

そういう意味では、仕事中は、自分と一緒にいられない。

自分と話すことが不可能だ。

自分がどう感じているのか、ということを感じられない。

 

 

この人がしんどくないようにしなきゃ。この人の仕事を減らさなきゃ。この人にちゃんと仕事してるって思われなきゃ。この人に、この人に、この人に、、。

 

そういうふうに仕事をするのは、なるべくやめたいと思うのだけれど、

だけれど、なんだろう。

 

やっぱり疲れているので、

 

うーん。

 

えーと、

とりあえず

これを書くのは終わりにする。

 

 

追記:

まだ書こうと思ってたことがあった。

ケアはしんどい。でも、それゆえにやめるわけではない。

わたしは、、、何か、書きたいことがあると思うのだけれど、今はあまりに疲れてるので、言葉にできない。

 

追記2:

他者の視点に間違ったやり方で入り込みすぎている。

 

追記3:

ブログ読み返す。