かわるとも思っていなかったこと、順番に少しずつかわっていく、
そんなに簡単で単純じゃないと知って、
いまここの現実は物語のように強固じゃなくて、
それは悲しいことなんだろうか?
今の時代は暗いね。とか、嫌な時代になったね。とか、長く生きてる人に言われても、わたしはこの時代しか生きてないんだから知るかよ、と思ってしまう。こんなもんなんじゃないの?もっと楽しかったの?生きることキラキラしてたの?よかったね。
まだわたしはわたしにかけている呪いを解けない。そんなに、大げさな話じゃないけど、昔から自分を苦しめているパターンについてのことだ。呪いの発動条件と解除方法についてのさらなる実践的研究が待たれる。
現実が曖昧で複雑すぎる、そして難し過ぎる。シンプルやイージーの真逆だ。
でもそれは、自分でそちらの方向に向かっていっているということもあるんだろう。火に飛び込んでいくみたいに?濁流に飛び込んでいくみたいに?そんなたとえは適してる?シンプルな現実もあるんだろう、それは別にイージーではないと思うけど、白黒はっきりしていたら、大きな物語に乗り、システムへの疑問を無いことにして、敵を敵にして壁をつくって自分の身をガードすることだけで生きるなら、
生きるなら、なんだろうか、わたしはそういう人がずるくて羨ましいのかな。だってわたしはそう生きられなかった。そう生きることなどちっとも望んでいないにもかかわらず、羨ましいと思ってしまうのだろうか?苦しいからでしょ。
ケアされたい。と思っているよ。でも、それは人にやってもらうことじゃないから自分でやろうとしてる。なんらかのやり方で、もうすこし他者にひらいてもいいことなのかもしれないと思う。そのやり方がわかんないのかな。なかなかできない。
苦労しなさいっていう言説はなんなんだろうね?
自分の苦労を正当化したいだけかね?
若いうちの苦労は買ってでもしなさいって何かね?苦労の質にもその人の質にもよるだろ、単純化しすぎててむかつく。
苦労しなさい。と苦しみなさい。は違う。
苦労したほうがいい。は苦しめってことじゃなくて、「労」に重きがあるんだと思う。わたしはそう解釈する。
とまあ、わたしの現実はこんな感じだよ。夜勤明けのせいでしょう。夜勤は、①仮眠の質②失禁する人の数③皆の起きてくるタイミングと自分の動きのタイミング④早番で来る人が誰か、そして来る人数 によってつらさが違う。今日は仮眠の質がダメダメだった。かなしい。ずっとイライラしてしまって、何を言われても「うるさい」しか思えなくて限界だったし、無理だったし、言うことを聞いてくれない人には脳内?心の中?でぶちぎれてしまって、それをそのまま外に出すことはさすがにおさえてるけど、かなり厳しいものがあった。
ケアされるべき状態の人間が他人のケアなんてできるわけもないので。
そして10人に対してからだひとつで足りない。
ケアのニーズをすべて満たすことはできないのでちょっとずつ順番にやっていくしかない。のだけれど満たされなかったところから自分にカウンターがきて苦しむことになる。
ひどく長くなってしまった。
追記:
いちばんやさしい文章をみつけたので、みんなも読むといい。置いておきます。
追記2: