どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

すくうことば

救う/掬う

 

【救う】

救われたくて、何か私を助けてくれる言葉はないだろうかと本屋を探す。

本屋でそんなこと思うことはなかった。むしろ、情報量に圧倒されて気持ち悪くなるから嫌いだった。「読まなければいけないもの」として私に圧をかけてくる本は嫌いだ。

昔は本屋で救われることができると知らなかったのだと思う。人を(私を)救う本や、そういう本を売る本屋があること、本屋でわくわくできることを知らなかった。

 

今日は本屋にいた。3時間くらいは本を見ていたと思う。tattva欲しかったのに高いなと思って買わなかった。のに、結局そんなに違わない値段で本を買った。長居しすぎたから、これで何も買わないで出ていくのは無理だと思って買ったというのもある。

 

誰かを救うために書かれた言葉じゃなくても、人を救うことはある。なぜ救われるのかはわからない。

私の言葉が誰かをほんの少しでも救うことがあるのか、そして、私自身を救っているか。

 

【掬う】

わたしが綴るのは日々を掬い取るための言葉。わたしの日々、わたしの生活、わたしのいのちだ。わたしの言葉になんの価値があるのかなとか、本にする意味はあるんだろうかとか、本にして読んでくれる人はいるのかなと何回も思う。そういうふうに考えるのは状態が良くないときで、たぶん良いときは、本をつくりたいと思ってるんじゃないかな。

本屋に並ぶ本、私が価値を感じない本でも売られているっていうことは、価値を感じる人もいるということなんだと思う。ただ日々を書きとめる本に、価値を感じるとき、その人が掬い取ったものに、その人から見える景色に、その人の感覚に、ああ、わたしもそうだなぁ、とか、わかるなぁ、と思って救われたいってことなのかな。

 

フィルムカメラで3枚写真を撮った。それに加えて、カバンの中でシャッターボタンが押されてしまってまた1枚分無駄にした。

今日もあまりお腹が空かない気がする。

夜ごはんどうしようかな。

 

ずっと何にどのくらいお金を使っていいのかわからない。本を買っていいのかわからない。外食していいのかわからない。どうやって決めたらいいんだろうね!