どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

6月27日(天気:晴れ)

早すぎる夏が来たみたいで、やはり、どうやらこの世界は少しおかしくなってしまっているのか?

紫陽花がしおれる。干からびる。

1ヶ月、季節が消し飛んでしまったような。

梅雨、気が滅入るから、ないのは有り難いのだけれど、あまりにもなくて。

これから雨降るのかな?テレビの気象予報士さんはなんて言ってるのか、知らない。テレビをみていないから。

 

まだ今日を半日しか過ごしていないのに、今日の日付をタイトルにして書き始めてしまっているけど、今日他に書きたいことがあれば他のタイトルで書くので別に良い。

 

ここ2〜3日すごく眠い。からだの周期のせいなのか?昨日は23時すぎに顔も洗わず電気もつけたまま眠りに落ちてしまって、起きたのも9時過ぎだから、10時間くらい寝たのかな、それでも寝足りずに午前中昼寝している。

からだは不思議だ。

 

今日は休日。

写真を撮りたいと思う。

 

今後の進路についての考えは全くまとまらないまま。「考える」をどうやるのかもわからないので、今は特に考えず待っている。

 

昨日のこと。施設ではお風呂は週に3〜4回入る。お散歩に行きたいという方がいて、「今日はお風呂に入れないので、汗をかいてしまうからお散歩には行けません」というのは、どうなんだろうと思った。

行動を制限すること、は、その人の権利を侵していることになるのかもしれないが、その人の最善の利益のため(あなたのためにやめておきましょう)、もしくは一緒に生活する他の人の最善の利益のためには、制限せざるを得ないこともある。あとは、こちら側の都合で制限せざるを得ないこともあるのかな。

何がその人の最善の利益なのか?軽々しく権利を侵していないのか、どう考えてそれを選び、そう接するのか。揺れ続けないといけないと思う。

やっぱり私は「今日は無理だよ」だけでは、わからないなと思ったけど、先輩がそう言っていると、そうするしかないのかな、と思う。本当はもう少し理由を聞きたい。

私は散歩の代わりに、ここを少し歩きますかと、建物の外には出ないで歩いてもらった。

 

今日じゃなくて昨日の日記やね。

 

福祉。しあわせという意味やけど、その人のしあわせを考えるということ、それは自分の価値観にもとづく。自分のしあわせを考えるということとも近い。良い支援のためには、独断ではなく、それぞれの価値観を持ち寄って合議しなければならないと教わったけど、慣習が当たり前になってしまっているのか、合議できていないなぁ。

人として生きるとは、生活するとは、人生を豊かに幸せに生きるとはどういうことか。ということを考えるのが福祉だ。