どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

存在意義

わたしがここにいる意味って何だろう?

異分子、と言われたし、そうだと思う、だから、自分でも、自分の存在で何かが変わらなきゃいけない、何かを変えなきゃいけないと思ってきた。

わたしには違和感があった。こうできたらいいという理想も、自分は良い実践を他の人より知ってると思ったから、あった。こうできたらいいと思ったし、わたしがしなくちゃいけない気がした。違和感を口にできる場・人・時であれば口にして伝えた。向こうに聞く姿勢があったのかはわからない。伝え方がよかったかどうかわからない。だが環境の問題ではなく私の問題かのように扱われたと感じた。そして何も変わらなかった。と私は思う。だって私の問題だとしたら、私は変える術なんてひとつももたないのだから。

わたしがここにいる意味は何なのか。

別に何も変わらなくてもいいのだとも思う。変わることを望んでいないから。私の違和感は望まれていないと思った。そして中にいて、新人で、経験もなくて、何も変えられることなんかない。だってそれは時間がかかることなのだから。そして違和感ももう感じなくなってしまった今は、私になにができるのか?何もできない。いや、普通の仕事は普通にできる。できていると思う。それしかできない。

前に進まなければいけない、成長しなければいけない、何かスキルを身に付けなければいけない?なんだろう、それ。なんのためだろう。ここにいて、何かできるようになってるかな?と思ってしまう。前に進まなきゃと思っている、わたし。思わされてるのかな。

違和感がわたしの価値だと最初思っていたが、それは価値ではなかったのだとわかった。価値あるものとしては全く扱われなかったからだ。でも私は役に立てるとしたら、存在意義があるとしたらその違和感だけだと思っていた。そしてその違和感もなくなった。ただひたすら毎日の仕事をこなしていく。

わたしの問題として、できるだけわたしでいる、わたしのまま仕事の時間を過ごすというテーマがあって、それには取り組んでいる。

私には何ができるか?何もできないのか?それでいいのか?これでいいのか?

私には何もできないことがわかるが、何もできないなんて思う必要あるのか。何かできるようになったほうがいいのか。何もできなくていいのか。何もできないって思わなくていいのか。思ったほうがいいのか。

わからないから、全部それでいいと言って、ただ目の前のことをやるだけしかないのだと思う。でもやっぱり、これでいいのかな、と言ってしまう。

 

(raison d'être)

 

追記:価値がないと存在意義がない=そこにいちゃいけないって思うことって、なんなんだろうね?価値がなくてもいていいとか、そもそも誰でも価値があるしもちろんいていいっていうのがいいよね。自分の思考の癖もあるのかな?社会のせい?なんで私は、自分だけ特別に何かできないとここにいちゃだめだって思うのかしらね。

わぁ、そうだよね。わぁ。わたしってそうだったか。自分の価値とか存在意義とか能力とか、気にしてるのか。そうよね。効率性、生産性に縛られないものを最初から求めている。でも何かができるということももちろん大事で、そのなかでどう生きるか。

もっと整った環境だったら学べることもあっただろうなと思ってしまうし、自分の活かし方もあっただろうなと思ってしまう。環境に、何にもできなくさせられてる部分はあると思ってしまう、そういう環境。

 

追記2:

今日は調子が悪い。夜勤のとき調子悪いのって昼寝いっぱいするせい?

異分子を活かす環境がなければ異分子は生きずむしろ良さは殺されて普通の人になる。異分子を活かすというか、そもそも個人や個性を活かす環境はここにない。

でもこうやって環境、外部、他人のせいにすることもいいと思ってなくてどうしたらいいかわからない。すみません。

七尾旅人をきく。

 

追記3:今日はむちゃ低気圧らしい、調子悪いのそれのせい