どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

12月12日(天気:たぶん晴れ)

朝起きた直後は気分がすぐれなかったが、しばらくするとすぐに落ち着いてきた。iPhone、というかApple Musicは、RCサクセションや永原真夏、ミスチルの曲を流してくれた。

出来事よりも、そのときどんな気持ちで何を考えていたのかのほうが書きたい、残したい。ということを昨日話した。

朝から日記のことばかり、考えていた。

わたしは「日記を読む欲望はそんなに強くない=それほど読むのは好きではなくて、書くことに対する比重がかなり大きい」と思っていたのだが、読むのが好きな日記もあるかもしれない。

自分が、思考や感情中心の日記を書くから、同じように?、気持ちが入っている日記、感じたことや考えたことがのっていて伝わってくる日記が好きなのかもしれない。起伏のある日記?これはまだわからないけど。

日記祭は、かなりインパクトのある体験だったような気がする。純粋に楽しかったし、日記のことをもっと好きになって、もっと興味を持った。好きなことをもっと好きになれることほど、うれしくてぜいたくなことはないと思う。

[16:50]

 

(続)

ケアが必要な人(たとえば、高齢の方、障がいのある方、子ども)は、どちらかといえば「人間でない」「人間らしくない」側に置かれがちだ。働いてない。うまく話せない。言っても伝わらない。意思が読み取れない。理性があるのか、どんな論理で思考しているのか、わからない。「普通の人間」像からは外れる。

でもそういう人たちが逆に、いちばん人間らしいのでは?と思った。脆弱さ。人間の人間らしいとされる部分を全部削ぎ落としてなお残るものこそが人間らしさなのかもしれない、とふと思った。そういうものを人間らしいといえること、いえる社会が、豊かさだと思う。

 

それから、定点観測への愛についてのことも考えていた。そして、痕跡への愛のことも。生きること、変化、変化しない、時間の隔たり、自分が他者であること、残るもの、への興味。定点観測的に言えば、この興味は前から変わってないのかも。

 

今日の予定は、お風呂に入り、洗濯をし、早めに寝る。明日の予定ややることも、仕事の休憩時間にリストアップしてえらすぎる。

 

夜ごはんはお惣菜のちいさめの肉じゃが、チーズデザート(和栗)。

 

そういえば、去年の12月のことを思い出して、あれから1年!?!の感情になる。

というか3月から今までのことも、はやすぎる。時が消し飛んでる。

あぁ、時は進んでるんだなぁ。不思議だ。

今年の振り返りをするのも、楽しみ。