どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

12月13日(天気:はれ)同化欲求のこと、受動と受容のこと

このひとに、わたしと同じものを見てほしい。わたしと同じことを、面白いと思ってほしい。わたしと同じことに、心を動かされてほしい。このひとと同じものをみたい。このひとと同じ感覚を感じたい。心のなかの場所を共有したい。わたしとあなたは同じなんだよと言いたい。

という、同化欲求のことについて、考えていた。

好きになった存在に対して、同化したい、一体化したいという欲求が、わたしは強すぎるような気がする。(恋愛的な意味だけでなく。)(わりと誰にでもある欲求なのかな?とは思うけど、どうなんだろ。)

わたしの太陽星座は蠍座なので、それは蠍座的なことなのかもしれないと思う。

心を注げる対象を見つけたい、それに全身全霊で心を注ぎたい。という欲求があるんだと思う。

良い場合も悪い場合もある。Twitterで、佐々木ののかさんが、仕事はそこに心血を注いでも誰にも迷惑をかけないというか、本気でぶつかることができる(人間に対してそれをやるのはいろいろ問題が起きる)というニュアンスのことを書いていて、そうだなと思っている。わたしはそういう対象がほしいのだと思う。

それは依存という言葉で表すこともできる。わたしたちはたくさんのものに依存している。仕事に依存することは、ある誰かに依存するよりも、一般的に悪いことだと思われない。

依存、それに依って在ること?

これからどういうふうに生きていけばいいんだろう。

自分のエネルギーの行き場を、みんな求めてるんじゃないのか。

 

それから、受動的、受容的、受け身的。のことについても頭の奥でずっと考えている。

わたしはそれ(受動的、以下略)。わたしに対して来るもの拒まず、なんでもウェルカム、なんでもオッケー、あなたはあなたの望むようにしていい、あなたがしたいようにしてくれれば全部それでいい、受け止めるよ。というスタンスに近いのかな。

それに加えて、わたしへ向けられる要求、期待、そういうものに過剰に反応しすぎる、適応しようとしすぎる場合がある。全部受け止めたい、受け止めないと、と思いすぎることがある。んだと思う。難しいよー。

だから、聞こえてくる他者の声や、読み取れる要求、自分の頭で感知できる期待には、応えないと!!って思って対応する一方、自分が聞き取れない声、頭にのぼってこない他者の期待、本質的な課題に対応することには弱い、のかもしれない。

 

それから、選ぶとか決めるって、何をしていることなのか、どこをどう使ってそれをやっている(それができる)のか、わからない。

[15:15]

 

生きることの切実さ、ぐちゃぐちゃさ。

生きることへの絶望と希望を繰り返し続けること。

[15:50]

 

2019年の自分が聞いていた曲をきいている。たくさんのものの力によって生き延びてきていて、それ(何によって生き延びてきたか)がアイデンティティをつくるのだと思う。

今日は人生で2回目に行った居酒屋で、人生で3回目に、お酒で気持ち悪くなって吐いた。ちょっと強いお酒だったのかな…気をつけよう…。

大人、仕事してるんだなぁ〜。と思った。

日記本をオンラインで買えるようにするのが面倒で全然進められない!と思った。

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