どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

京都、ローカル、そして生きる

もう暗くなっていた。京都駅に着くと、改札付近は、不安そうな声と表情をしたたくさんの人でごった返していた。新幹線が運転を見合わせていたのだった。わたしは寒かった。バスで京都駅まで来た。そのバスの中も寒かった。わたしはバスの中でほとんど寝ていたけれども、換気のために窓が開いていて、つめたい風が吹いてくることを感じた。寝ているあいだにもずっとわたしは寒いと感じているのか、それとも眠りが浅くなった瞬間だけ寒いと感じているのか?

わたしもごった返すたくさんの人々のなかのひとりになる。となりに立って列車を待っている2人組の会話に耳を傾け、運行についての情報を得ようとしながら、落ち着いて、しかし素早く、ちゃっかりと指定席を予約した。わたしにはそれをすることができた。

改札を通り、エスカレーターでホームへ。せっかくだから、おにぎりとかサンドイッチよりは、すこしは京都らしいごはんを食べながら帰ろうかと思った。ホームの売店には、パッケージに「京都」と書いてあるお弁当が並んでいる。やはりみんな、京都に来たからには京都のものを食べたいのだ。パッケージに京都と書いてある焼き鯖寿司を買って新幹線に乗る。

京都駅からはほとんどずっと寝ていた。焼き鯖寿司を食べようとも思ったけれども、それほどお腹が空いていなかったし、ダイヤの乱れによる混雑で人がかなり多かったので、コロナのことも多少考えて食べなかった。

午前3時半以降に就寝し8時前に起きるのが2日も続いたにしては、ひどい眠さではない。

 

横浜駅に着いた。ここから家まで1時間くらいはある。家に着くより前にはごはんをたべたい。そうだ、食べるのはここしかない。駅のホームの椅子に座り、寒い、寒いが、食べるのだ。

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京都というのは、京都にある観光スポットのことではない。京都というのは、地面。土地。自然。山、川、道。土地の名前。名前をつけた人々。そこにいる人々。人々の話す言葉。食べるもの。その場所だからありえること。その場所だから現れてくるひとりひとりの感情、思考、行動。ひとりひとりの住む家、くらし。生きているひとりひとりと、もう死んだひとりひとり。そのひとりひとりから、できあがってしまったものの総体が京都なのである。

その意味では、わたしも、この3日間のあいだは、ほんのすこしだけ京都になっていたのであった。

 

わたしは、わたしが感じること、心が動くことを頼りに、手がかりに、それを抱きしめて生きていきたいと、思った。きっとそれは常にあたらしい。わたしが生きているから。

そんなことを考えながらの帰路。