どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

セルフケアについて

マルクスの研究者のセンセイの授業で、ペイドワークとアンペイドワークの境の話がでてきた。

たとえば介護の仕事では食べ物を食べさせることがペイドワークになり、保育士は赤ちゃんの面倒を見ることがペイドワークになり、料理人は料理をすることがペイドワークになり、家事代行サービスでは家事をすることがペイドワークになる。

一方、家庭の中の「労働」をする人たち(「専業主婦」など)は、それらのことを対価をもらわないでやっている。

センセイはこんなふうに言う。「その境目ってなんだろう?お金をもらっていないだけで、アンペイドワークも、同じ労働なんじゃないか。自分にご飯を食べさせるのも、労働だっていえるんじゃないの?という疑問が出てくる。ただ、労働は、基本的に他者のためにするものだから、自分のためにするのは普通は労働とは言わないというルールなんだけど」

自分のためにする行為がもしかしたら労働と呼べるかもしれないというのはすごく面白いと思った。

自分のために料理したり洗濯したり部屋を片付けたりというのは、「セルフケア」という労働とも呼べるんじゃないか。

最近、私は福祉に関係する場で新しい繋がりをもっている。そこで新しくできた友達は、「ケアする人へのケア」に興味があるのだという。

また、その場で、まだ友達と呼べるかどうかはわからないけど少し仲良くなった子からは、「〇〇さんはケアに興味あるんですか?」と聞かれた。

福祉とケアはすごく強く関わっているので、福祉に興味ある人はケアに興味ある人が多いかもしれない。

私は彼女や彼ほどはケアに興味がないだろうなぁと思っていた。(ケアよりは社会やシステムに関心がある、つまりミクロよりマクロ)

でも、セルフケアはちょっと興味あるかもしれない。

「福祉」に興味がない人にも、生き方としての「福祉」は身近にあるんじゃないかと思っていて、それは「セルフケア」という概念と近いかもしれない。

自分が自分の支援者になってケアをする。

個々人がうまく自分に向き合って、自分のケアをできるような社会になったらいいなぁ、と漠然と思っているような気がする。

毎度のことだけど、うまく言語化できていなくて、いま言葉になったこれが本当に私の考えていることなのかわからない状態です。