どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

ベッドとしあわせと人びとと本

強烈な眠気がきたから髪の毛の乾きも中途半端なままにベッドに飛び込んだのに寝れんのかい

眠気、引っ込むな

 

わたしの幸福は、わたしを幸福にしようとする多くの目に見えないはたらきによって成り立っている。わたしを幸福にしようとする、というのは、わたしだけを幸福にしようとすることに限らず、他の誰かも含めるけどわたしにも向いているはたらきもある。

わたしを幸福にしようとするはたらきは、誰かのそういう意図(わたしに幸福がもたらされますようにとか、誰かに幸福がもたらされますようにとか、みんなで一緒に幸福になれますようにとか)をもっている場合もあれば、全然もっていない場合もあるのだろう。

伝わるかな、、?

 

わたし、たぶんうまく考えることができずに、流れと直感と感覚ばかりで生きてるから、大事なのに忘れてしまうことがあったり、そういうふうに人間としておかしなところがあったり、(誰もがそうかもしれないけれどもしかしたらほかの人よりも)すると思うんだけど、今日(ベッドに入ってから)何となく、昔の記憶がわたしのもとにやってきて、かかわった人たちのこと、今はかかわっていないけれどたしかに時間や場を共有した人たちのことが思い出された。

今も変わっていく過程にあって、その中にいるときはなかなか自分のことに理解が追いつかないと思う。

失われてしまった関係があっても、いま見えなくても、そのひとたちは確かに今も息をしていて、この世界に生命として存在していて、こうやってスマホを見ているのかもしれないし、誰かと会っているかもしれないし、思い悩んでいるかもしれないし、恋に胸を焦がしているかもしれないし、おだやかな時間をすごしているかもしれないし、かわいい寝顔でかわいい寝息をたてているのかもしれないと、思いを馳せることはできるし、どうか幸福でと、祈ることはなんだかふさわしくない気もする、どうか無事でというのも、うまく言えているかわからないけど、とにかく、そのひとが守られていますようにといのること、(そうすることにはきっと意味なんか何もないけど、)は、できると思うのだ。

 

さっき、やっぱり本をつくりたいなあと、思い立って、それだけあるんだけど、中身とかは何も考えてない!

あと、最近考えてることは、「学びたい」ってこと、前にも書いた気がするけどやっぱり大学とか授業とか良いなってこと、それを求めてる気がするってこと。こんど、新しく出会ったそういう場にも行ってみようと思うんだ。楽しみ!

そして、自分の能力や適性について、大学の話ともつながってるんだけど、たぶん論文書くのとか研究するのがかなり得意だし好きだから、(高校のとき研究者になったらいいと恩師に言われた、)そういうふうな仕事(具体的にはわからないけど、、)をやってみたいって思ってる。

あと、やっぱり話すのは苦手、とくに論理的にうまく話すのが苦手、書くことはできるけど、、、そうだな、まとめると、大学とか、学びとか勉強とか、論理的に思考することとか、それを自分が得意で好きでやりたいってこと、いつか仕事にできるのかな?ってことを考えてるね。

 

じゃあ、おやすみ、今日もなにもかもわからないね、そのままでおやすみ