どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

福祉、生きること、他者と関わること

もう会わないと思う。もうここに戻ることは難しいと書いてある。身体がとても大きくご自分で体を動かせず体調が安定せず介助量も多い方だったので、正直みんな大変だった。

勤務する施設に入所されていた方が入院した。前の夜勤のとき状態がとても悪く、ずっと夜様子を気にしてバタバタしていた。夜勤明けの日病院に運ばれ入院された。

今日の夜勤は、その方がいない。だから、仕事の負担がとても軽くなっているのだ。だから、こんなブログなんか夜勤中に書ける。

その方の排泄介助で、夜勤中1時間半くらいはかかっていたから。からだが重く、本当に汗だくで介助しないといけなかった。

その方がいないほうが楽だ、という事実を、どう捉えたらいいのかわからない。それは、安易に、そのいのちがないほうがいいという発想に繋がりかねないからだ。(津久井やまゆり園のこと。)

そうならないためには、生命(人間)に対する愛と敬意が必要なんだけど、それには愛と敬意をもつことができるための構造が必要だ。

生命があるということ、動くということ。それを守ること。生命に人の助けが必要だということ。

いのちが止まること。

 

メモ:今日の会議は前の会議より良かった。管理職の方が入ってたから。会議ほんまに大事。まだ改善の余地ある。また〇〇大学なのにこの職場なの?って聞かれた。話しかけてもらうことはすごく嬉しい。職場はコミュニケーションが基本的に欠如してるから。大学と仕事は関係ないと思うと言った。Facebookで友達になった。だんだん一緒に働く人たちのことがわかってきて、話せるようになってきてそれはすごく嬉しい。何が良い支援なのかとか、もっと話したいし話してほしい。思っていることを話す、こうしたいということを話す時間が圧倒的に足りない。やり方だけ教わっているけど、良い支援について考えることを教わっていない。この仕事とは何かということについて、先輩方が持っているものをもっと聞きたいな。

 

身体(しんたい)ってことば、話し言葉で使う?

百円払って引いたくせにちゃんと読まないおみくじ、

咲きはじめの紫陽花の神秘を愛する、

左手親指のささくれ、

プロポーズのこと、

わたしの希求。

f:id:miho1104mnmk:20220527230842j:image