自分がゆるせないなと感じることが起こる場所に自分の身体を明け渡していることの苦しさ。
でも同時に、そこに身を置くこと、現実を身体に刻みつけること、そこにおいて現実に溺れてもがくことを望んでいる。
人間と人間としてのかかわりが壊されていること奪われていることが許せない。
こんな生活おかしい許せない絶対無理と思うことと、いや、案外大丈夫じゃん、自分が頭の中でそう思うより自然な関わり発生してるじゃんと思うことを繰り返している。
自分が変えようとすることではない、それは傲慢である、自分と周りを分離して敵を作ってひとりで苦しむ必要ない、自分にできるコミュニケーションを気負わずやればいい、そこまで自分のミッションの範囲を広げなくて良い。
と思うことと、
施設という仕組みがおかしい、それは変わらなければならない、そしてそのおかしい仕組みの中でどうやってできるか、みんな考えようとしないといけない、みんなおかしいことをもっとおかしいと思って変えようとしてほしい、みんなもっと、、、
と思うことのはざまにいる。
今日は間違えて仕事がんばりすぎた。お風呂介助、神経と心を酷使してしまった。
資本主義社会に、自分の向かう方向性が乗っかるのかということ。
明日もお仕事。