どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

仕事のこととゲルハルト・リヒターのこととごはんのこと

タイトルをまず決めてしまえばそれについて書かざるをえなくなる、という手法を用いて、書こうかなと思ったことをちゃんと自分が書けるように仕向けました。(これによって満たされるのが、自律性の欲求・・・自己決定理論における3つの基本的欲求のひとつ。あとの2つは「関係性の欲求」「有能さの欲求」。)

 

まずは仕事のこと。

この現場に私がいる必要はもう全然ないなぁ近いうちに全然ここを離れよ〜と思いながら職場に行き、そこでうんざりするコミュニケーションをたくさん見聞き。進めたいことがうまく合意が取れず進まないことへの不満の表し方や、私を含む若手職員への表現の仕方、そして実習生に対するコミュニケーション、どれをとってもうんざりって感じだった。(どうか、ちゃんとコミュニケーションをやってくれ。一緒に働く人とどう接するか?何をどうやって伝えるか?それこそ仕事なんだと思うのよ)

そして私の存在(立場と力)ではそれを変えることは能わないことももうわかっていて、できるのは自己の内面だけにとどまるかもしれないささやかな抵抗だけであることももうわかった。

この職場は死んでいる組織、うまくいかない組織、人が離れる組織のお手本だなと思い始めてきた。そうやって組織の悪口ばかり言うような自分も好きではない。

昨日Twitterで、新卒でDeNAに入社してから起業した人のツイートが出てきて、その人のnoteを読んでいて、成長できる組織🔥自分が凡人だと知って毎日一個でもいいから学ぶ🔥みたいなのにうすら嫌悪感も抱きつつ、HRとか人材育成・定着とか組織の理論とかにはすごく興味があるなと思った。わたしはこの現場に入ってからそういうことばかり考えていたからだ(どうしてこの組織はこんなに終わっているのか?そしてその終わっていることをうまく表現する術を持たない)。まあ福祉業界、ビジネスではないから、組織として「結果」を出す必要もそんなにないから、そこに対する必要性はそんなに無いことになる。

 

ゲルハルト・リヒターのこと。

日曜美術館というテレビ番組でみた、「ビルケナウ」。

毎週日曜美術館は録画しているが、いつも観るわけではなく。このあいだ国立西洋美術館で、ちょうどリヒターのフォトペインティングによる作品(すっごくリアルな雲の絵。写真を写しとって描く。どう見ても写真だが近くで見ると紛れもない絵画。雲好きとしてはやはり気になる絵だった。)をみて気になっていたので、録画リストのタイトルにリヒターの文字を見つけて、視聴。

ちなみに私が毎週録画している番組は、100分de名著、グレーテルのかまど、関ジャム、かりそめ天国、アメトーーク、ロンドンハーツ、日曜美術館(みないものもある)。

番組の中で印象に残っているのは、フォト・ペインティングという画法について。リヒターが生きていたのは東西に分かれたドイツ、その中で、東の社会主義リアリズムと西の自由主義の対比。その両方を経験したからこそ生まれた、写実的で現実的なんだけどポップなアートという、両面性。絵画とは何か?写真のようだけれども、絵画としての筆致。リヒターは東ドイツにいて社会主義リアリズムしか描くことを許されずクソだと言っていた(要約)が、それを訓練し身体化することで、それがのちに生きることもあると思った。

だから私が今経験しているこのクソな現実、その中にも身体化されて(身について)自分の中にどんな形でかはわからないけど確実に生きるものがあって、それは何かの形でまたきっと表れ出る、唯一無二の私の経験だと思っていいような気がした。

これも仕事の話とつながることだった。

「ビルケナウ」は強制収容所の写真を題材にして、フォト・ペインティングの手法で写真を投影して描いたが、それを塗り込めてしまっている。

表現とは、芸術とは、歴史とは、情報とは、人間とは、物質とは、生命とは、人間がなしうること、どうしてもなしえないことは何か。

 

ごはんのこと。

友達の家で食べたごはん。ごはんをつくってもらったこと、一緒に食べること、ごはんの話がうれしい。ごはん。ごはんのこと好き。

とりとめもないこと。とりとめもないことが、どれだけ重くあるか。

人の命というのはとりとめのない日常なのだ。

これはゲルハルト・リヒターのビルケナウの話ともつながること。

戦争。

戦争という現実をどう受け止めていいのか、全然わからないよね。

 

思ったのの3倍くらいは長くなった。

今日はこれで終わり。

今日の夜ごはんは昨日焼いた鮭と、焼いてないハム。そして、タロットリーディングによると9月前半のラッキーフードはメロンだったのだが、高くて買う気にならず買ったメロンゼリー。

今日は30分残業した。

仕事のうんざりのことばかり書いたけれど、ちょっと良いこともある。8月とか9月になってコミュニケーションをちゃんと取り始める人がいるっていうのは変なんだけどさ。うんざりとちょっといいことを積み重ねて、その割合?とかで、もうやめよーって気持ちになったりならなかったり、そんな感じよ。

 

追記。昨日の夕飯はお惣菜のコロッケと韓国のり(ごはんはない)と塩バターパンとティラミス。明日の夕飯(予定)は、チヂミ。あとはオクラも冷蔵庫にあるので、韓国のりと和えたいが、やる気次第。