どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

あのさ 嬉しいこと

4月からのブログ - どうしようもないままで美しい僕ら (hatenablog.com)

このブログで、読み返しても意味わからないしいいと思えないって書いてたんだけど、今もう一回読み直して、全然意味わかった。そしていいと思えるものもあった。

すごいねえ、よかったじゃん、わかったじゃん。取り戻してきたね。嬉しいね。よくここまできたね。

 

わたしのからだがすごくすごく小さかったころから、今の今まで、わたしの魂はずっとこのからだに宿ってきた。

あんなに小さかったもの(わたしはその小ささを知らないけれど)と、いまのわたしが連続しているのだという、同じものなのだという神秘がある。

ぐだぐだだらだら過ごす休日のわたし、苦しいよって思いながらただ耐えるわたし、その時間が存在しなかったら、その次の日のわたしも存在しない。今日一日、いのちを消してまた戻すということはできない。今日だけ生きるのをやめるなんてことはできなくて、わたしが置いていかれていても、時間は勝手に進んでいく。いのちは連続なのだ。一時停止はない。

だから今日わたしのいのちがあるということは、わたしのからだが、魂があるということは、これまで一日も、生きるのをやめずに、存在していたということだ。わたしはずっとこの世界に存在し続けていたのだ。苦しくても嫌になってもこの世界にずっと在った。

そんなことを思う。

 

ほんとは、早く寝なきゃいけないんだけどね。

 

時間は更新され続け、積み重ねられ続ける。

明日もまた誰も見ていない新しい日がのぼる。