どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

話すことも同じ

話すことも書くことも同じで、話し始めないと、書き始めないと、自分が何を言いたいのか書きたいのか、わからない。

だから、このことを話すぞ!書くぞ!って話す前や書く前に決めたとしても実際にその通りにいくこともいかないこともあるし、その通りにいかせたいともそんなに思わない。(安心して自由に表現できる場である場合。)そのときだけの、そのつもりじゃなかったけれどどうしても生まれてしまった言葉をわたしは愛している。たまたま選ばれて並べられてしまった言葉。そしてあらわれてこなかった言葉。

記録ということ。

 

ブログはそのとき出てくるものを大事にして書いているので、たとえば昨日書いてやっぱり出すのやめた文章を直して出すようなことはしない。練らない、練り直さない。

話すように書いているってことなのかもしれない。

そうじゃないと楽しくないし。(私にとっては。)

 

昨日から、明確に「戦争」というものに興味(という言い方が適切かはわからないが)を持っている気がする。

昨日は結局どこへも出かけず、月曜日のユカと、いわさきちひろのドキュメンタリーを、アマプラでみた。

行こうと思っていたゲルハルト・リヒター展は10/2までだった。知らなくて、初歩的なミスで、いけないことになってしまってすごく残念だけど、そういうこともあるのだ。

あとは昨日のこと、本をつくってるってことを、今までほぼ話してなかったんだけど、知り合いの集まり?で言えてよかった。

買う〜!って言ってくれたんだけど、いつもお世話になってる?というか親しくしてくれてる?人からはお金もらわなくていいって思う、けど、そうすると売る人とあげる人の線引きが難しいなぁ。と思った。

 

今日は国葬があったらしいが、改めて考えてみて、おかしいことだと思った。