どうしようもないままで美しい僕ら

かんがえたことと日々の記録

相変わらず雲の写真ばかり撮って暮らしている。

植物はわたしに触れられたとき、触れられたことに気づいているのだろうか?感じているのだろうか?

動いていく日々のことを捉えるのも抱きしめるのも間に合わないままだ。

ただてざわり、感触だけがある。

言葉にならない。

触れること。

 

暮らしというような暮らしを存在させることができていないので、もうすこし暮らしたいと思っている。

 

今日は久しぶりにはやく帰った。

 

帰り道、未来のことを憂うよりも、と思った。

もちろん、こうなったら素敵だな、望ましいなという未来はあるのだけれども。

いまわたし自身がどう感じるのか?ということ。

関係というのはある一定の目的に向かうものではない。プロセスのなかにいるわたし自身、相手のこと、いろいろなできごとのこと、その複雑な全体を愛していたいと思う。

 

わたしには何ができるか。

 

7月の終わりには福島県にいた。そして帰ってきた。

土地のてざわりがある。思い出す。

人のてざわりがある。思い出す。

わたしは思い出す。

わたしも思い出すし、あなたも、誰かも、思い出す。